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映画「散歩する侵略者」2017年/WOWOW FILMS

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Amazon プライムのラインナップにこのタイトルの作品があったのは知っていて、少々気になってはいました。

最近の映画に関しては、全く不勉強で、このタイトル以外の情報は全くない状態だったんですね。

僕の世代で(前期高齢者)で、このタイトルを聞くとまず反射的にピンと来てしまうのは、「ウルトラセブン」です。

第一次怪獣ブームにどっぷり浸かった僕らの世代としては、侵略者とくれば、全話異星人との対決を描いたウルトラセブンのイメージが強烈です。

その第32話のサブタイトルに「散歩する惑星」というのもあったりで、おそらくこの映画は、怪獣の出てこないSFパニックものだろうと勝手に思い込んでいました。

 

「ウルトラQ」のケムール人や、「ウルトラマン」のバルタン星人、メフィラス星人など、ウルトラセブン以前にも侵略モノの子供向けテレビ・ドラマはありました。

では映画はどうか。

日本で侵略を描いた映画というと、これもやはり怪獣映画の得意とする分野だったといえます。

 

しかし、アメリカに目を向けると、異星人による侵略系SF映画は、1950年代からありました。

代表的なものは、「遊星よりの物体X」「光る眼」「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」などなど。

どの作品も、特撮視覚効果技術の向上に伴って、たびたびリメイクされています。

そして、どの作品にも共通しているのは、侵略者たちが、人間の体を乗っ取って、何食わぬ顔で、我々の隣人に成りすましているという設定です。

これは、直接的に宇宙人や怪獣を登場させなくても、自分たちの日常生活の中で、ミステリーとサスペンスを産める「美味しい」シチュエーションとして、過去にも多くの監督によって、手を変え品を変え、映像化されてきました。

 

ただ、立派に娯楽作品には成りえるものの、一般の評価としては、どこか子供だましのB級映画というレッテルを貼られがちでした。

 

とにかく、本作のタイトルからだけの印象は正直そんなところだったんですね。

 

しかし、まず本作の監督の名前を聞いて「ムムッ」と身を乗り出していまいました。

なんと、あの黒沢清監督ではありませんか。

1990年代から2000年代くらいまでは、個人的にはちょっと目を離せない監督でした。

「CURE」「カリスマ」「回路」「降霊」などは、ホラー映画ファンとして、この監督の映像センスに、一目置いていました。

2010年代以降は、ホラー映画から離れた映画も撮っていたりで、正直個人的には彼の新作を追う事は怠けていたのですが、ちゃんとこんな仕事もしていたと気づいたのは、恥ずかしながらつい最近のこと。

しかも出演者を見れば、長澤まさみ、松田龍平、長谷川博巳と単独でも主演を張れる一流どころがズラリ。

このキャスティングで、まさかB級SFパニック映画であるはずがない。

これは、黒澤清ファンとして見ておかなければならない1本を、完全に見逃していたなと反省した次第。

というわけで、ホラーの巨匠から、いまや「第二の世界のクロサワ」と評価されるまでになった日本映画の巨匠の2017年度の作品をいまさらながら鑑賞させていただきました。

 

この映画の元ネタは、前野知大氏が自分の主催する劇団のために書き下ろした舞台劇でした。

そして、上演後は、このオリジナル脚本をもとに前野氏自身がノベライズしています。

 

ある日自分の夫が、姿はそのままでも、まったく違う人物となって帰ってきます。

夫は宇宙人に体を乗っ取られており、地球人のマインドをリサーチするために、人間の心からいろいろな「概念」を盗み学習していきます。

この夫婦を演じるのが、長澤まさみと松田龍平。

送り込まれた宇宙人は合計3体で、残り2体とジャーナリストして接触していくのが長谷川博巳演じる週刊誌記者です。

宇宙人たちが、この3体が集めた「概念」の学習を終了すると、満を持して侵略が始まるという物語。

 

こうやって、ストーリーだけを述べてしまうと、なんだかちょっと陳腐な子供向けSFにも聞こえてしまいますが、それがそうならないのが黒沢演出の凄いところ。

 

この監督の過去作品から、個人的に学習していることは、ここぞというシーンでは、カメラは固定したまま動かさない、クローズアップにはしない、カットは割らないということ。

ですので、カメラの動きが止まって、長回しが始まると、こちらは「なにかが起こる」と身構えるわけです。

そして、この緊張感の後で起こることは、たいていはこちらの想像の上をいくショック。

これが、個人的には黒沢映画最大の魅力になっています。

 

まず映画の冒頭がこれでしたね。

宇宙人に体を乗っ取られた女子高生が、両親を殺し、血まみれになって道の真ん中をフラフラと歩いていると、はるか後ろから近づいてくる大型トラック。

普通ならクラクションを鳴らす運転手のカットでも入れたくなるものですが、「なにかが起こる」までは、カメラはフィックスにしたままの長回し。そして・・・

見事にしょっぱなから度肝を抜かれました。

 

長澤・松田夫婦の家に両親と喧嘩をした妻の妹が遊びに来ます。

記憶の怪しい義理の兄に、自分との関係を説明する妹を演じているのが元AKBの前田敦子でした。

彼女の説明を熱心に聞いている夫。

すると、彼は彼女の前に立ち「それもらうよ」といって、「E.T. 」よろしく人差し指を妹のおでこにチョコン。

すると、妹の瞳には涙があふれて、その場にヘタレこんでしまいます。

これで、彼女の脳内データから「家族」という概念がごっそりイレースされ、地球人学習中の夫の脳にインプットされるわけです。

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上手かったのは、この後の前田敦子の演技。

「家族」という概念がごっそり抜け落ちた妹の人格の変化を、前田敦子が説得力抜群の演技で表現していました。

彼女の登場シーンは、これだけでしたが、この演技が、結局はこの映画の最後まで効いてくるんですね。

 

「概念」を抜き取られた人間に、どういう人格の変化が現れるのか。

 

「所有」という概念を抜き取られた青年。

「仕事」という概念を抜き取られた妻の仕事相手。

「迷惑」という概念を抜き取られた役人。

 

それにより彼らには人格障害が発生してしまうのですが、こういうネガティブな概念を抜き取られた彼らはどことなく幸せそうに見えたりもするわけです。

 

しかし、それが「愛情」だったらどうか。

 

異変を察知した国家の秘密チームに追われる夫婦は、教会に逃げ込みます。

教会の告知板には、「愛とはなにか」の説法を知らせるポスター。

中では、少年少女たちによる合唱団が、聖歌の練習をしています。

そこに現れるのが東出昌大演じる神父(牧師?)。

宇宙人は、神父から「愛情」という概念を抜き取ろうとするわけです。

 

これが目茶苦目茶苦茶怖いんですね。

何といっても、「寄生獣」で、顔色一つ変えず人間を捕食する怪物を演じた彼です。

その印象があるだけに、この神父から「愛情」という概念を抜き取ったら、どんなサイコパスが出現するのか。

前田敦子の演技を見ているだけに、見ている方はこれを勝手にリアルに想像してしまうわけです。

何を考えているのかわからない東出の爬虫類的な目が余計に恐怖をあおります。

 

結局教会では何も起こらないのですが、こちらは勝手に、映画の冒頭で見せられたような殺戮シーンが起こると想像してしまうわけです。

これは、キャスティングの妙といえるかもしれません。

 

そして、ここでは未遂に終わった「愛情」という概念のカット&ドロップが、映画のラストの効果的な伏線になってくるという仕掛けです。

 

長谷川浩巳パートは、かなり映画的な演出になっていました。

オリジナルの舞台劇は見ていないのですが、彼と二人の宇宙人とのパートは、最初こそ地味ではありましたが、次第に、アクションあり、銃撃戦あり、飛行機からの爆撃ありと、映画的にエスカレートしてきます。

最初は単なるネタとして彼らと接触していた記者が、次第に彼らにシンパシーを感じだし、やがてバディ感を育んでいくというまでの変化を、長谷川博巳が実に達者に演じていました。

彼が突如人々の前で辻立ちして、今地球は宇宙人に侵略されようとしていると、道行く人に訴えかけるシーンがあります。

もちろん、それに真剣に耳を傾ける人はいません。

今起こっていることに目をそむけ続けていると、世の中一体どういうことになるのか。

彼は危機感をもって、必死に人々に訴えかけます。

 

2017年といえば、安部長期政権の膿が、次第に白日の下にさらけ出されてきた頃です。

社会へのメッセージを仰々しく扱うのは、黒澤清監督の好むところではないとは思います。

しかし、ある程度そうならざるを得ないことは、この映画の性質上、黒澤監督も多少は覚悟していた気がします。

かつての、50年代のアメリカ映画のSF侵略モノが、あの当時吹き荒れていた「赤狩り」に対するカウンター・メッセージになっていたと、後の評論家が指摘していますが、映画はいつの時代にも、社会を映す鏡であることは否めない事実。

彼は警告した後でポツリとこういいます。

 

「OK。言いたいことは言った。後は君たちの判断次第。」

 

この瞬間に彼は、記者であることに決別し、宇宙人と運命を共にする決心をすることになります。

 

さて、地球人のリサーチを終了して、侵略者に攻撃を開始された地球はいったいどうなったのか。

二ヵ月後の世界で、これを説明する医者の役にキャスティングされていたのは、キョンキョン(小泉今日子)でした。

黒沢監督の作品としては、ドラマの「贖罪」で主演を演じていますが、本作のこの役はなかなかのもうけ役。

ワンポイントではありましたが、なかなかの存在感を出していました。

監督の過去の作品を見ると、ラストでビッグ・ゲスト登場という演出はいくつか見られますが、やはりニンマリしてしまいます。

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冒頭でも語りましたが、日本では侵略モノ映画というと、やはり怪獣特撮映画の十八番だったという気がします。

一般映画でいえば、思い付くのは、岡本喜八監督の「ブルー・クリスマス」、松竹の「吸血鬼コケミドロ」くらいのもの。

西洋の歴史とは違って、日本の歴史で本格的な侵略が登場するのは、鎌倉時代の元寇と、江戸時代末期の黒船来航くらいですね。

敗戦のペナルティとしてのGHQ進駐はありますが、島国であるというロケーションが幸いしてか、そもそも「侵略モノ」が馴染まないというという事情は、他国に比べて圧倒的に外部からの侵略が少なかったという歴史が影響しているという気はします。

 

しかし、考えてみれば、新型コロナのパンデミックも、見方を考えれば、新型ウイルスという未知の物体からの侵略行為と捉えることもできます。

どんなに深刻な「侵略」があったとしても、基本はギリギリまで動こうとしないのが日本の体質であることは、ハッキリとしてきました。

世界中がどれほど危機感をもった問題に対しても、日本の初動の遅さは往々にして致命的なほどです。

もちろん「下手に動かない方が無難」というリスク管理もあるかもしれませんが、それが動くべき時に動かないというのリスクを上回るという気はしません。

 

侵略者たちが散歩しているうちに、やれることは、いくらでもあるということでしょう。

侵略してくる宇宙人に、お願いしたいことがひとつ。

 

今度この国の総理大臣になる人の頭から、「党利党略。私利私欲。」という概念を是非とも「もらって」くださいませ。

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