追悼2023 Part 2 (5月~8月)
さて、今年も余すところ8時間となりました。
年内に追悼し終えるか、微妙になってきました。
それでは、Part 2 です。
駆け足で、追悼してまいります。
春日三球 4月17日逝去 享年89歳
若い人たちは聴いたことがないかもしれません。かつて夫婦漫才の春日三球・照代として、結構テレビにも出ていた人です。
得意ネタは、「地下鉄漫才」。「地下鉄は、電車をどっから入れるんでしょう。考えるとねむれなくなっちゃう。」というのが定番のオチでした。
実も蓋もないですが、AIに聞いてみました。今は、江東区にある新木場車両基地から地下に入れるのだそうです。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
ヘルムード・バーガー 5月18日逝去 享年78歳
何んといっても、この人の魅力を際立たせたのは、イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティの映画でしたね。
その怪しいまでの美しさは、ヴィスコンティの演出で、芸術にまで開花したといえるでしょう。
二人は、ともにバイ・セクシュアルということで、惹かれ合い相思相愛の仲。
映画の枠を超えて、公私にわたり深く結ばれた関係でした。
ヴィスコンティは「若者のすべて」で、アラン・ドロンにもサインを送ったといいますが、彼はバイではなかったので、断られたそうです。
「家族の肖像」は、大学教授を演じたバート・ランカスターが、ヴィスコンティ自身がモデルになっていると考えると楽しめます。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
上岡龍太郎 5月19日逝去 享年81歳
後に参議院議員となる横山ノックらと、漫画トリオを結成。
関西を中心に活躍していた人ですが、後に東京へ進出。
僕の印象では、テレビを中心に、キレのあるコメントで、司会者として活躍していたというイメージです。
自分の芸が通用するのは20世までと公言して、2000年に芸能界を引退してしまいました。
芸能界にしがみつきたい芸人が多くいる中で、引き際が鮮やかだったのは憶えています。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
ティナ・ターナー 5月24日逝去 享年83歳
最も成功した女性ロック・アーティストとして「ロックの女王」と呼ばれていた人。
もともとは、アイク&ティナ・ターナーとして、60年代前半からヒットを飛ばしていました。
1971年の映画「ソウル・トゥ・ソウル 魂の詩」で初めて彼女のパフォーマンスを見たのですが、これはぶっ飛びました。
しかし、彼女がソロとして、ブレイクしたのは、80年代の前半のMTV全盛の頃。「プライベート・ダンサー」はよく聞きました。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
アストラット・ジルベルト 6月5日逝去 享年83歳
ボサノヴァといえばこの人。
彼女の声を初めて聞いたのは、「ゲッツ/ジルベルト」というアルバムでした。
スタン・ゲッツの艶めかしいテナー・サックスと、ジョアン・ジルベルトのナイロン・ギターに絡まる彼女のアンニュイなボーカル。
それがあまりに心地よくて、夏になると毎日のように聞いていましたね。
こういうボーカル・スタイルもありなんだと、思い知らされました。
今から思えば、後の「男と女」のスキャットも彼女のスタイルが原点。
日本でも、小林麻美や、原田知世に通じるウィスパー・ボイスに影響を与えていそうです。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
北別府学 6月15日逝去 享年65歳
広島東洋カープの、押しも押されぬエースだった人。
20世紀最後の200勝投手になっています。
抜群の制球力で、中日にはめっぽう強かった投手です。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
PANTA 7月7日逝去 享年73歳
実は、この人の楽曲はまだ一度もまともに聞いたことがありません。
ただ、1970年代から、日本のロックシーンには、たびたびその名が聞かれるアーティストでした。
頭脳警察や、PANTA&HAL は、その噂は、いろいろ何アーティストの口伝いで聞いてはいましたが、楽曲までは聴いていません。
なにかネタはないかと思って、Wiki してみたら、荻野目洋子、渡辺美里らと並んで、石川セリに提供した曲の中に、「ムーンライト・サーファー」がありました。
これは、昔から個人的には、大のお気に入りの一曲。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
ジェーン・バーキン 7月16日逝去 享年76歳
モデル、歌手、俳優などをこなすフランス人のマルチ・アーティスト。
ブリジット・バルドーをはじめとするフレンチ・ロリータのムーブベントのなかで、その魅力を開花させた人ですね。
パートナーは、セルジュ・ケンズブール。実娘はシャルロット・ケンズブール。ともに、各分野で活躍するマルチ・アーティストです。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
トニー・ベネット 7月21日逝去 享年96歳
この人といえば、1961年に大ヒットした「霧のサンフランシスコ」でしょう。
大変に息の長い歌手で、2014年にはレディ・ガガとのデュエット・アルバムを全米初登場1位にしています。
実は、僕が初めてこの人の名前を知ったのは、サミー・デイビス・ジュニアのショーで披露した彼のモノマネでした。
フランク・シナトラと並ぶ、アメリカを代表するエンターテイナーの一人です。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
無着成恭 7月21日逝去 享年96歳
この人の名前を知っているのは、50代以上の人たちでしょう。
晩年は出家して僧侶になっている人ですが、この人の名前を知らしめたのは、なんといってもTBSラジオの「全国こども電話相談室」。
子供たちからの質問に、レギュラー回答者として、28年にわたり解答し続けました。その東北訛りには、暖かい響きがありましたね。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
森村誠一 7月24日逝去 享年90歳
社会派推理小説の第一人者だった人。代表作は「人間の証明」「野生の証明」「悪魔の飽食」など。
70年代後半、横溝正史と並んで、角川書店が、大プッシュした小説家です。
我が実家は書店でしたが、文庫のコーナーには、彼の作品が平積みでズラリ。
それを片っ端から読んだ記憶がよみがえります。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
ランディ・マイズナー 7月26日逝去 享年77歳。
イーグルスの創設メンバーとして、ベースを担当していた人です。
1977年には、バンドを脱退しますが、後にソロとしても活躍。
彼の作品として、イーグルスとしてもヒット・ナンバーとなったのが「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」。
僕も大好きなナンバーで、カラオケではよく歌いましたね。
改めて。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
ウィリアム・フリードキン 8月7日逝去 享年87歳
1970年代の初めに、ハリウッド映画の洗礼を受けた世代としては、この人は外せません。
1971年の「フレンチ・コネクション」、1973年の「エクソシスト」。
この2本を手掛けたというだけで、映画史に語り継がれる監督になった人です。
その後が、パッとしなかったのが少々残念ではありますが。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
ロビー・ロバートソン 8月9日逝去 享年80歳
伝説のロック・バンド「ザ・バンド」のギターリストだった人です。
この人の名前を初めて意識したのは、マーティン・スコセッシが監督した彼らのドキュメント映画「ラスト・ワルツ」でしたね。
このバンドは、僕よりも、ちょっと上の世代のロックファンにとても支持されている印象です。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
さて、9月から12月までの追悼は、Part 3で! 年内に間に合うか?!