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投稿情報: 午後 01時32分 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
WOWOWで録画した映画を見ました。
2004年ハリウッド製作の「デイ・アフター・トゥモロー」。
監督は、ローランド・エメリッヒ。
最新VFXとセットの融合が作りだす迫力満点のスペクタクル映像が、説得力を持って迫ってきます。
ニューヨークをザバーンと襲う巨大津波。
ビルを飲み込み、車を吹き飛ばすハリケーン。
ニューヨークをミシミシ覆い隠す氷河。
言葉で説明してしまえば、あまりに簡単で、それまでですが、それをきっちり映像にすると、かくもインパクトがあるのかのというのが本作の見どころ。
特撮オタクの僕は、日本の誇る特撮映画は、ほとんど見てまいりましたが、その中で表現されるスペクタクル・シーンは、子供心に、スゴイとは思いつつも、やはりどこかで「造り物」なんだという覚めた目で見ていました。
日本映画の特撮は、その一つ一つのカットが、セットとミニチュアによる「手作り」なわけですから、それはまさにそうでしょう。
しかし、それに、最新VFX技術と、確かな科学考証が加わると、そのリアリティは、かくも跳ね上がるのかというのがこの映画の映像。
映画の中には、この手の映画では設定しがちな、ありえないほどストイックで自己犠牲的なヒーローや、「死ぬしかないだろう」といわんばかりのエゴ露出オーバーの権力者といったステレオタイプのキャラクターがまずもって登場いたしません。
大自然の猛威の前には、右往左往するしかない等身大の人たちの健気なサバイバルを、静かに俯瞰で見守るというのがこの映画の基本的なスタンス。
この作り方が、この映画の主役である「スペクタクル映像」を、より効果的に引き立たせたといっていいでしょう。
そこで思い出すのが、1972年の元祖パニック映画「ポセイドン・アドベンチャー」
あの映画では、そこに留まらず、船底に向かって、積極的に移動した人たちが、最終的には「神の加護」を獲得できますが、この映画では、それがまったくの逆。
雪と氷に閉ざされたた図書館に留まって、暖をとりながら「待つ」選択をした人たちが助かり、果敢に移動していった人たちが、全員凍死というシナリオを用意しました。
「深読み」はあえて避けますが、ここには、30年の時代の流れをかんじますね。
この大パニックの犯人を、映画では「地球温暖化」にしています。
地球温暖化といえば、京都議定書。
製作サイドが、これに配慮したのか、映画の中には、唐突に、日本でのパニックシーンが登場。
同様に、スウェーデンのパニックシーンも挿入されていましたので、これは「温暖化」に対する意識が高い国としてリスペクトされたものかもしれません。
しかし、これにはちょっとニヤリ。
ニューヨークのシーンでは、宣伝スチールにもあるように、「自由の女神」を効果的に画面に取り入れていたました。
「自由の女神」とくれば、思い出すのが、あのSF映画のクラシック「猿の惑星」のラスト。
エメリッヒ監督の描いたイメージの中には、おそらく、「猿の惑星」が強烈にあったと想像いたします。
人間様の傲慢とエゴが、そろそろ、おしおきを食らってもおかしくはないぞと誰もが思い始めている昨今。
21世紀最初のパニック映画は、それを見事に映像にしてくれたといってよいのでしょう。
地球温暖化。天変地異。何が起こってもおかしくない地球。
ふと外をみれば、満開を過ぎて、緑もチラホラと混じりだした桜の花弁の上に、昨夜から降り出した雪が静かに積もっています・・・
4月半ばですよ。
投稿情報: 午後 04時32分 カテゴリー: 映画 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
BSオンエアの映画で「亀は意外と速く泳ぐ」を見ました。
2005年の作品。
主演は、上野樹里。
コメディ映画というくくりになるんでしょうか。
とにかく、ストーリーの展開は、ちょっと予想不可能ですね。
もっといってしまえば、この映画には、そんなもの必要ないということでしょう。
そこにあるのは、三木監督の人を食ったようなセンスと、マニアックなこだわり。
ですから、これにシンパシーを感じるファンにとっては、たまらない映画でしょう。
そして、そうでもない人には、得体のしれない映画ということになります。
まあ、カルトの匂いプンプンの映画。
ストーリー展開など、説明しても意味がないのでやめます。
地味な映画なんですが、出演者は、それなり。
たとえば、嶋田久作、伊武雅刀なんていう、そこそこビックネームに、こんなことやらせたり、
こんな人とか、
ロケ地となったのは、ほとんどが、神奈川県三浦市。
ラストシーンは、どこかで見たことのあるところだと思っていたら、東京都立城南島海浜公園でした。
投稿情報: 午前 10時33分 カテゴリー: 映画 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
衛星映画劇場の撮りダメで、小津安二郎作品をみています。
本日は、「秋日和」
1960年の作品です。
注目すべきは、1949年の「晩春」以来、長年、多くの小津作品で娘役をつとめてきた原節子が、本作では、初めて母親役を演じたこと。
娘役は、司葉子。
というわけで、やはり、気になってしまうのは、このときの原節子の年齢。
原節子は、1920年生まれですから、この映画撮影当時で、ちょうど40歳。
映画の設定では、20歳で結婚して、24歳の娘がいることになってますから、まあ年齢として45歳から50歳のあいだでしょうか。
まあ、あの当時で、こんなにきれいな40代後半のおっかさんがいるかという話ですが、映画ですから、そんなやぼなことはいいますまい。
まあ、彼女にしてみれば、老け役への挑戦です。
ちなみに、原節子は、この後、2本の映画に出演した後で、ファンに、老醜をさらすことを潔しとせず、42歳でササッと引退してしまいます。
かっこいいといえばかっこいい。
「和製グレタ・ガルボ」といわれる由縁ですな。
ローアングルでカメラを固定して切り返す独特の小津タッチや、場面のアクセントとして、頻繁に風景カットの挿入されるスタイルは、ほぼ完成形。
映画のテーマは、嫁ぐ娘と、その周囲のすったもんだが扱われているわけですが、本作では、いままでの「父と娘」というテーマではなく、「母と娘」の話に置き換わっているのところがミソ。
まあ、そのあたりを、「晩春」あたりと比較してみたらおもしろいかもしれません。
映画のラストは、娘を嫁がせた後で、自宅に戻り、娘との思い出を走馬灯のようにめぐらせながら、しみじみとするという定番のシーンになりますが、ちょっとこのシーンを比べてみましょうか。
まず、「晩春」の嫁ぐ娘のはこちら。
「秋日和」ではこちら。
というわけで、製作年数で11年違う、小津作品の「しみじみ」比べをしてみてくださいませ。
まあ、このシーンに限らず、小津作品常連の顔ぶれが、いったいどんな役で登場するかというのは、結構楽しみですね。
たとえば、常連中の常連、笠智衆は、「秋日和」では、原節子の亡くなった旦那の義理の父親役。
本作では、出演シーンもわずかで、今でいえば友情出演、もしくはカメオ出演というところでしょうか。
そして、常連ではありませんが、この映画のチョイ役から、後の小津作品のヒロインに抜擢されたのが岩下志麻。
冒頭のクレジットで気がついたので、注意してみていましたが、いましたいました。こんなところに。
まあ、そんなこんなを楽しませてもらいましたが、ちょっと気になるカットがありました。
娘が勤める会社の、屋上から見える風景で、映画の中では、何カットか使われているのがこれ。
眼下にあるターミナルは、明らかに郵便局ですよね。
赤い車が、行儀よくホームに並んでいます。
そして、その通りの向こうを横切るのが、おそらく山手線。
見覚えのある高架線です。
おそらく、新橋から上野あたりまでのどこかでしょう。
では、この作品撮影時にこのカメラがどこにあったか。
山手線の高架線沿いにある郵便局の大きなターミナル見下ろせるビルということです。
これをちょっとGoogleしてみました。
候補としては、これが近いですね。
御徒町駅に近い郵便局です。
映画の中に、「銀座に出る」とか、「列車から手を振るのを見届ける」なんていうセリフが出てきますから、この予想は、当たらずも遠からじでしょうか。
まあ、どうでもいいことなんですが、いまや映画も、いろんな楽しみ方ができるという話です。
投稿情報: 午前 07時46分 カテゴリー: 映画 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
実は、僕は「老人フェチ」です。
特に、素朴で、可愛い老人には目がありません。
僕の趣味の老人に、妙な色気や飾り気はご法度。
ですから、基本的に、芸能界には、僕好みの「老人」は、見当たらないのですが、この人だけは別。
笠智衆さんです。
笠さんは1904年生まれ。
1993年に、89歳で亡くなるまで、役者人生の大半を、老け役でまっとうした、筋金入りの「おじいちゃん」俳優です。
人呼んで、「日本のおじいさん」
それまで、大部屋俳優としてくすぶっていた彼を、「老け役」として、初めて起用したのが小津安二郎監督。
その時、笠さんはまだ32歳。
以来、60年近く、数え切れないほどの、日本映画の中で、笠さんは、「おじいさん」を演じ続けたわけです。
中でも、やはり彼の独特の「味」を引き出したのは、小津安二郎監督でしょう。
特に、「晩春」以降の、父と娘の関係を主軸に置いた小津監督の名作群の中で、笠さんの魅力は、ブレイクしました。
必要以上に「喜怒哀楽」を前面に押し出す大芝居を嫌った小津監督のストイックで独特な演出スタイルに、笠さんの、極端に抑揚のないセリフ回しが見事にハマった結果でしょう。
晩年まで、抜けることのなかった「熊本訛り」とて、最終的には、役者・笠智衆の「味」になっていました。
さて、映画「晩春」は、いわゆる小津スタイルが確立した最初の映画といっていいでしょう。
この時、笠智衆は、45歳。
しかし、映画のセリフの中で自分は、57歳だといっていますから、ここでは設定よりもひとまわり若かったことになります。
しかし、笠さんは、しっかりと「枯れた演技」を披露。
とてもとても、このブログを書いている僕よりも、5歳も若い実年齢だったとは思えません。
娘役の原節子は、この映画では、29歳という役どころでも実際の彼女もこのとき29歳。
この親子役の二人の実年齢差は、16歳しかないのですが、そこは映画のマジック。
映画の中では、しっかりと初老のおとうさんと、行き遅れている三十前の娘として、二人のツーショットは、とても納得のいく画面になっておりました。
さて、この映画のすぐ後に見たのが、同じ小津安二郎監督の「麦秋」。
「晩春」の2年後の映画です。
前作と同じテーマを扱った映画で、原節子の娘役は、変わらないのですが、小津監督は、、この作品では、お父さん役には、菅井一郎を起用。
笠さんには、珍しく「お兄さん」役を演じさせておりました。
まあ、年の離れた兄という役どころでしょうが、やはり、こちらは、おじいさん役で見慣れているということもあって、実年齢とほぼ変わらない設定の役なのに、この笠智衆には、なんとも奇妙な違和感をかんじてしまいましたね。
小津作品を全部思い出せるわけではないのですが、こんな役どころの笠さんは、ちょっと他に思い出せません。
やはり、笠智衆の髪の毛は、黒々としていてはいけない。
背筋がピンとしていてはいけない。
枯れていてこそ、我らが「おじいさん俳優」笠智衆ですね。
投稿情報: 午後 07時59分 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
日本の演劇界を支え続けてきた、日本を代表する女優杉村春子。
彼女は、映画では、主演作品というのはないのですが、数多くの監督たちに、その確かな演技力を買われ、名だたる日本映画の名作群に、重要なバイブレーヤーとして数多く出演し、その存在感で、映画に厚みをもたせています。
とまあ、ここまでは、ちょいとGoogleすれば、あちこちで見かける杉村春子評。
まあ、僕にしてみれば、、いつでも、お見合い写真を小脇に抱えて、あわただしくやってきては、「嫁」がどうとか、「婿」がどうとかと、言うだけ言って、忙しく帰ってゆく、世話好きのオバサンあたりのイメージが強いのですが、それでも、演劇に携わる人たちから見れば、彼女は、「神様」みたいな人のようです。
さて、BSの衛星映画劇場で、彼女が出演している作品を見たんですね。
「晩春」という映画。
1949年の小津安二郎監督作品です。
学生時代以来、30年ぶりに再見いたしました。
さて、この映画の中で、「さすが杉村春子」というシーンを見つけました。
たぶん、30年前に見たときには、気が付いていません。
うっかりしていると、見過ごしてしまうかもしれないような、細かいシーンですが、今回は強烈に印象に残りました。
ふたつあります。
ひとつは、自分が持ってきたお見合いの返事を、叔母として、原節子演じる則子に確認に行くシーン。
則子は、複雑な思いながらも、このお見合い相手との結婚を承諾します。
うかない顔の則子から、その返事を聞いて、満面の笑みを浮かべる杉村春子。
「よかった。よかった。じゃあ、お父さんに報告してくるわね。」
まあ、足取りも軽く一階に下りて行こうとしたとき、部屋にころがっていた「なにか」をみつけるんですね。
すると、その瞬間に、世話好きな叔母様が、きれい好きな主婦の顔にかわります。
階下に降りようとしたその足がくるっと方向転換して、さっとその何かを拾い上げると、そのまま戻ってきて、テーブルの上にポン。
この間は、完全に主婦の顔です。
そして、則子の顔を再度確認すると、再び「世話好きな叔母」モードに戻って、満面の笑顔。
そして、また足取りも軽く階下へ。
とまあ、こんななんでもない、シーンだったんですが、杉村春子が、その「なにか」を拾い上げる所作が、なにやら偉くリアルで、そしてあまりに自然で、ほとほと感心してしまいましたね。
今回は、大女優の「技」をちゃんと、見逃さなかったぞと思っていたら、この直後に、もう一発きました。
おなじみ笠智衆の「おとうさん」に、その朗報を報告。
さっそく、帰って準備にとりかからなくちゃと、帰ろうとする杉村に、笠智衆が歩み寄ります。
まあ、そこで、二人の名優を立たせたままの芝居を、小津監督おなじみのローアングルがとらえます。
さて、ここでまた世話好きの叔母様が、そんな話を、笠智衆の父親とはじめるんですが、ここで今度は、笠智衆の服についている「糸くず」らしきものを発見するんですね。
これを、サッサッと払いながらも、会話は続いているという、まあ単純に、たったそれだけのシーンなのですが、この所作が、また自然でリアルで唸ってしまうんですね。
今の女優で、台本に書かれない、こんな「小技」を、駆使できる人がどれくらいいるでしょうか。
これを、芝居として、演技として、計算づくでやっているのだとしたら、この人はやはりタダモノではない。
そんな発見でしたね。
杉村春子おそるべし。
投稿情報: 午前 07時37分 カテゴリー: 映画 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ストレス発散のためというよりも、むしろ、なにかのストレスから解放された時の勢いで、マイクを持つことが多いですね。
それが、会社の帰りに、Shidax に飛び込んで、一人カラオケしなくとも、自宅のリビングでできるようになったのですから、カラオケ大好きオヤジとしてはたまりません。
通常なら、同僚と居酒屋にでもよって、会社のグチでもこぼし合いながらダベリングというのが、僕ら世代のストレス発散方法なのでしょうが、幸か不幸か、僕は酒をたしなみませんので、もっぱらカラオケです。
僕がよく遊んでいるMySpace というサイトは、ただ歌うだけではなく、これを世界中の人にきいてもらいましょうというサイト。
ビジュアル自慢や、カラオケ自慢、はては、そのどちらもなくても、ただ「出たがり」というだけで、自分のパフォーマンスをサイトにアップする人がたくさんいます。
上手くもないのに、いろいろな人に聞いてもらいたいという色気は、僕にもあるようで、現在サイトにアップしたパフォーマンスの数は、122曲。
まあ、オヤジの道楽で、往年の洋楽を歌うことが多いため、そんな色気のない歌唱を聴きに来てくれる人は、あまりいないのですが、たまに部屋を掃除して、寝ぐせのない頭でいたりすると、動画でアップしたりしてみるかという気になるんですが、視聴数はポーンと上がるんですね。
まさに、世は、ビジュアルの時代ということでしょうか。
もちろん、可愛い女の子や、ナイスバディのお姉さんのパフォーマンスがアップされるや、あの感嘆絵文字炸裂のコメントが殺到するのはあたりまえ。
そりゃあもう、オヤジのさえないカラオケを聞きに来てくれるファンの数とは、桁が違います。
そんな彼女たちに、アクセス数で張り合おうと思うなら、アラファイブのオヤジとしては、着ぐるみでもかぶって踊らないと、太刀打ちできないでしょうな。
いかがですか。
こんなパフォーマンスでも、されようものなら、オジサンは、完全ギブアップです。
まさに、一億総タレント時代。
CDが売れなくなってしまったアーティストたちが、ファン獲得のために、こんなサイトに出没するようになるかもしれません。
まあ、オジサンとしては、せいぜい、シコシコと、洋楽ファンを集めていくとしましょう。
投稿情報: 午後 05時09分 カテゴリー: 日記 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
一応、1年かけて15キロのダイエットを成功しておりますので、言う権利はありましょう。
声をはらせていただきす。
バナナでも、コンニャクでも、ビリー先生のおいっちにでもけっこう。 はっきり申して、方法はなんでもいいんです。
ダイエットの成功方法は、たったひとつだけ。
話は簡単です。
要するに、効果が出るまで続けること。
たったこれだけです。
ダイエットの本を何冊読んでもかまいませんが、結局はそういうことになりますね。
まあ、ダイエットのハウトゥものは、それこそ雨後のタケノコのように出回っておりますが、最終的に、あなたをダイエットの勝利者に導いてくれるのは、あなたの「意志」。
これしかありません。お忘れなく。
そして、もうひとつ。
あえて方法論をいうなら、その効果は、やはり「数字」で見えるようにしておかないといけません。
自分のやったことが、数字として結果に出れば、人間だれしもモチベーションはあがります。
数字をみなければ、誰しも、自分に甘くなるのは人情というもの。
体重計はもちろんのこと。
血糖値測定機。
血圧測定機。
このあたりは、なるべくいいものを揃えて、毎日まめに測りましょう。
そうして数値とニラメッコしているうちに、ある日その数値が下がる法則に気がつくはずです。
こうなればしめたもの。
あとは、これをこのペースで、どれくらい続ければ、いついつ頃目標開達成ができるぞという逆算ができます。
後は、ひたすら続けけるのみ。
途中でリタイアすれば、体重は変わらず、やり遂げればダイエット成功。
いたってシンプルです。
ダイエットに小難しい理屈はいりませんよ。
じゃあ、ダイエットをしてなにか変るかというお話。
僕の場合でいえば、メタボパンパン時代に、かなり怪しげだった股間の具合が、スリムになったおかげでだいぶ回復いたしましたね。
これはうれしかった。
なんといっても、SUKEBEZIZY ですから。
生きる意欲がわいてきました。
これは、意欲ではなくて、「性欲」というべきか。
というわけで、これぞまさしく、「性交」するダイエット。
おそまつ。