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今から十二年前の五月に、詠んだ短歌。および時事川柳。
当時は四十二歳でございました。
平成十三年五月
野っ原の建設予定地タンポポが我らの陣地と綿毛を飛ばす
熊ちゃん帽人刺す傷み知らぬ者ゲームの世界を通りに持ち出す
春風や校庭に出て逆立ちし地球をヨイショと持ち上げる
春眠や目覚し時計オフにして一日何もしない贅沢
五月晴れ鯉のぼり泳ぐ昼下がり菜の花の土手は黄色の絨毯
連休が明けて新入社員たちそろそろスーツも馴染んでくる頃
月曜日ぬかるむ道の水たまり人の気知らず雀が遊ぶ
五月雨が木々を伝って葉の先のポトリと落ちる一滴になり
畦道のそっちとこっちで蛙らの混声四重合唱団かな
寄りそうやらそっぽ向くやらアネモネの恋愛模様道路脇にて
空晴れてメタリックブルーのボンネット初夏連れてくる陽射しの匂い
バス停降り家路を急ぐ少年の手に一輪のカーネーションかな
若葉萌ゆ通りを自転車颯爽と走る娘の白く長い脚
春の宵相方の腰に手を回しゆらゆら揺れるコンビニの袋
恋文も便箋封筒切手なし文字数制限で空飛ぶ時代
リビングの窓を開いて日曜の空にボサノバ放り出す朝
扇風機引っ張り出してそよ風をほんの少々バージョンアップ
青空を見上げて心でシャッターし雨の季節がもうすぐそこまで
遮断機が下りて電車がスルスルとそれぞれの旅ドップラーで行き
土曜零時コンビニ前でカップ麺行くあてなしの若者たむろし
借りて来たスタン・ゲッツのサックスが日曜の午後の空気を作る
境内の脇の建売シート着て社の軒では燕が巣作り
缶ジュースそろそろ夏の話題出て鈴蘭香るつゆのあとさき
投稿情報: 午前 05時51分 カテゴリー: 短歌 / 川柳 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
作文オタクのオヤジとしては、いまでこそ、ツイッターやブログで、
いろいろなことを書ける時代になりましたが、
この平成十二年当時は、そのハケ口として短歌を作っていましたね。
なにか、自分の琴線に触れた映像を五七五七七に組み立てる作業は、
僕にとっては、いい頭の体操になっていました。
しかし、僕の場合は、短歌のような上等なものでもなく、
川柳でもないような、ただ「独り言」を五七五のリズムに
のっけた生活詩みたいなもんです。
並べた画像は、全部ネットから拾ってきたものです。
つまり十年前の短歌と、今の映像とのコラボレーション
ということになりますね。
哀しいのは、今はもう、この感性が明らかに劣化していること。
そう考えると、改めて見れば、愛しい「短歌」たちです。
五月
気の早い端午の節句鯉のぼり見せたい気持ちわかるようであり
初鰹父の日母の日バレンタイン季節のイベント知るのはコンビニ
靴下を脱いで素足にスニーカー初夏を知らせる風を感じて
中華屋に冷し中華が出揃って街の緑が元気になる頃
鉢植えや花壇を彩る花よりも野に咲く花のたくましさかな
野辺に咲く花の名まるでわからずにもどかしいやら情けないやら
野辺に咲く花の名すべてそらんじるその老婦人のカッコよさかな
カーテンが五月の風とじゃれあってうたた寝をする祝日の午後
初汗やソフトドリンク一気飲み舌なめずりして夏待ち構え
クーラーのリモコンスイッチ押しかけていやまだまだとサッシを開ける
着慣れないスーツで歩く新人のはえぎわあたりに茶髪の名残り
ちゃりんこの前後に子供座らせて若奥様がガニ股で行く
フリーターという職業の青年の乗ってる車が四駆の新車
選挙カー信号待ちで並ばれて手を振る候補に地図を見る振り
ひとしきり夕立町を駆け抜けて物干し竿から雨だれひとつ
ストレスが残る日ちょいと遠回りツツジの道でひと呼吸して
五月雨が朝音もなくしめやかに通りまで出て傘取りに戻り
水はねた車をキッと睨みつけ中指立てたハイヒールの美女
よくみればヤマンバ・メイクのドギツサはブスの度合いと正比例かな
化粧とは素材を生かした補強作業土台を無視したリメイクでなし
化粧とは美しくなるためでなく目立てばいいのがティーンエイジャー
最近のヤツはどうたらこうたらと言い出しはじめてジジイを自覚
午前四時信号の青に導かれ王様気分で国道を行く
午前五時通勤途中と朝帰り缶コーヒー飲んでいるプラットフォーム
投稿情報: 午後 01時20分 カテゴリー: 短歌 / 川柳 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ゴールデンウイークの初日4月28日の日曜日に、静岡県静岡市葵区大間に行ってまいりました。
もう今は、5月の中旬ですが、やっと時間が取れて、動画の編集ができました。
大間は、山間に茶畑が広がるのどかな村です。
ここに、なにがあるのか。
まあ、都会から客を呼べるような観光スポットが、特にあるわけではありません。
たまたま読んでいた本に、この村が紹介されていたんですね。
「天空の癒し里 縁側カフェ」がそれです。
休みの日に、この大間の住民が、自宅の縁側を開放して、名産のお茶と、
各家庭手作りのお茶うけで、訪れた人をもてなすという嗜好。
仕掛け人は、この地に住む、大学の教授さんとのこと。
過疎がすすんだこの村の住民の殆どはお年寄り。
ちょっとした、村おこしですな。
定年後は、田舎暮らしをしようと画策している身としては、いいイメージ作りになるかなと思い、
出かけて来ました。
静岡市から、山道を登ること90分。
今回は、ドライブレコーダーを車に取り付けてのロングドライブ。
ドライブレコーダーは、本来は、事故から身を守るためのものですが、僕の場合は旅の記録用。
一人旅がほとんどですから、白状してしまいますと、いつもは、運転しながら録画したりしていたのですが、これはさすがに危ない。
てなことで、今回は、ドライブレコーダーの映像がおみやげです。
さて、お目当ての「縁側カフェ」。
昼前に、大間についたのですが、どうもそれらしい看板が見当たらない。
そこで、ちょうど歩いていた畑仕事と風情のおばあちゃんに聞いてみました。
すると、
「やってるのは、第一と第三の日曜日だけ。この時期は、茶畑の仕事が忙しくてできねえだ。」
とのこと。
残念ながら、「縁側カフェ」は本日休業。
しかたがないので、近くの福養の滝を見学して、山を降りることにしました。
途中で食べたのが、おでん。
では動画もお楽しみ下さい。
一番最初にカラオケで歌った曲はなんだったか。
ちょっとその記憶を辿ってみました。
カラオケという言葉をは閉めて聞いたのは、たぶん1970年代当時の深夜放送。
谷村新司の「セイ・ヤング」。
パーソナリティの彼が、ディレクターがどこから見つけてきた、野口五郎の「甘い生活」の
カラオケを、番組の中で歌うというコーナーがあって、そこではじめて、
カラオケという言葉と出会ったんですね。
音楽好きで、自分が歌いたいために、ギターのコードなんかも必死で覚えた僕としては、
ああこんなのがあったら便利だなあと思ったことだけは覚えてます。
さてそれから、時は流れて、80年代中盤。
街には、ボチボチとカラオケが出来るところが出てきた頃。
僕は新宿の住友ビルまで電車通勤していました。
おそらく、この会社の仲間と一緒に行ったのが最初のカラオケだったと思います。
仕事が引けた後の、土曜の夜の歌舞伎町でしたね。
予約をしておかないと、席を確保できないくらいの盛況でした。
ここのカラオケのシステムは、テーブルごとに、順番に一曲ずつうたっていくというもの。
僕は、自分のテーブルのトップバッターとして、この曲を歌いました。
おそらくこれが、僕の記憶にある限り、人前でカラオケを歌った最初でしたね。
大学を卒業した年から計算すると、おそらく1985年か、1986年頃です。
歌った曲は、大瀧詠一のこの曲。
確か、コンテストみたいな余興だったので、歌い終わった後で、お店から、
なんか賞をもらったのをかすかに覚えております。
それでは、いまや、完全なカラオケオタクになってしまったオヤジの、
事実上、カラオケデビューとなったこの歌を聞いていただきましょう。
さて、本日こどもの日は、カラオケ同好の士「アラフィ」のメンバーで、
いつもの池袋西口パセラで、5時間ぶっ通しカラオケ。
まあ、このメンバーとでないと歌えない歌とうのがけっこうあるので、
私としては貴重な集いです。
録音してきた音源は、帰りの電車からずっと聞いておりまして、
ニヤニヤしっぱなしです。
いつものように、洋楽からJ-POPS、昭和歌謡からアニメ、ミュージカルからフレンチポップスまで。
とにかく、タブーなしのオーバージャンル・カラオケ大会。
仕事が溜まっていて、このゴールデンウィークの休みは、本日だけという悲しい身ですが、
終了後は、ヘルシーなベトナム料理をみんなで食べて解散。
だいぶストレスは発散させてもらいました。
それでは、数十曲に及ぶセッションの中から、メンバー紅一点とのデュエット。
ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」を聞いていただきましょう。