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今は、デジカメの時代。
旅をしていて、心に止まった風景があれば、シャッター一つで記録に残せます。
でも、いにしえの旅人は、その風景を記録に残そうと思ったら、絵に描くか、言葉にするしかなかった。
手間も時間もかかったわけです。
でもその手間のかかった分だけ、残った文章や絵には「風流」という命が宿ります。
その、記録として、もっとも手軽だったのが五七五の俳句。
このたった17文字の中に、季節と風情と心象を織り合わせた言葉の刺繍。
世界で最も短い文学ですね。
そこで、平成の旅人としては、デジカメの一枚だけでは物足りないので、拙い俳句など添えています。
いにしえの詠み人からいわせれば、画像を使う分だけ「ずるいぞ。」ということになるかもしれませんが、そこは才能のない凡人の道楽なのでご勘弁を。
そこは、両方駆使して、やっと一枚の作品ということにさせていただいております。
それでは、八ヶ岳野辺山高原で編んできた拙句と画像をどうぞ。
フィジオロジカル・スマイルというのをご存知でしょうか。
これは、産まれたばかりの赤ちゃんの「新生児微笑(生理的微笑)」のこと。
口元がピクリと動き、目じりが下がってニタッと笑っている顔の動きのこと。
でもこれは、赤ちゃんの意思とは関係なく起こる神経反射のひとつです。
これとは、別に生後2~3ヶ月くらいしてくると、大人の笑いかけやあやす行動に対して、笑顔を見せるようになります。
これを、ソーシャル・スマイル。「社会的微笑」というのだそうです。
この件を読んでいた本で知って、(「養老孟司 ガクモンの壁」)「えっ」と声をあげてしまいました。
大学の頃のサークルの仲間だった女の子が結婚して出産したと聞いて、友人と遊びに行ったことがあります。
学生の頃は、なかなかモテていた女の子で、30歳を過ぎるまでは、恋愛関係では、けっこうスッタモンダしていました。
その彼女が、30歳を過ぎて、突然田舎へ帰り、お見合い。
キャリアウーマンとしもなかなかのやり手で、そこそこの地位もあった彼女でしたが、すべてポイ。
あれよあれよという間に結婚してしまいました。
旦那はなんでも、田舎の同級生だった人で、生産農家の若主人。
遊びに行ったときには、品のいいブランド品でバッチリ決めて、颯爽と渋谷の外苑通りを歩いていた「都会の女」の面影はなく、すっぴんで元気に笑う、農家の主婦になっていて僕らの口はあんぐり。
二人には、暫く子供は出来なかったそうですが、その彼女にもめでたく第一子が誕生。
その写真入りの暑中見舞いが届いて、それならばと、友人と一緒に長野の山奥まで出かけて行ったわけです。
(ちなみに、この友人は、学生時代に彼女にふられています)
ご主人も、いかにも優しそうな人で、東京から来た僕たちに、笑顔で名産の「小松菜」などをふるまってくれました。
彼女の方は、生まれたばかりの新生児をベッドの横の寝かせて、穴のあくほど笑いかけていたのが印象的。
その彼女が、愛しいベイビーの寝顔を見ながら、こういうのです。
「ねえ。信じられる? 生まれたばかりなんだけど、この子、私の顔見て笑うのよね。」
それを聞いて僕は、彼女に思わずこう言ってしまいました。
「あのねえ。気持ちはわかるけど、そりゃ親バカってもんだ。赤ちゃんの頭の中、まだ白紙状態だよ。あなたが誰かも学習中なんだから。
でも、大丈夫。あんたがそれだけ微笑みかけていたら、すぐにそれを学習して、笑い返してくくるから。」
話が変わって、今度は昨年。
うちの会社の女子社員に男の子が生まれました。
彼女にとっては、第4子で、彼女はベテランのママです。
お祝いのメールを送ったら、彼女が、生まれたてのベイビーの写真を送ってくれました。
その写真を見てドキリです。
生まれたての赤ちゃんが、写メしているママの顔をじっと見つめて、なんとかすかに微笑んでいるように見えるわけです。
そんなわけはないと思った時、ふと頭に蘇ったのは、あの時の旧友のこと。
そこで、写真を送ってくれた彼女に思い切って聞いてみたら、彼女はキッパリ。
「私は、絶対に笑うと思います。」
これは、その現場をもうすでに4人も経験しているママの言葉ですから、説得力がありましたね。
「新生児は、笑う?」
周囲がどんなに微笑みかけても、ミルクを飲ませてあげても、くすぐっても、生まれたばかりのベイビーは笑わない。
自分の子供を持つことはなかった僕は、付け焼刃の知識で、勝手にそう決めてしまっていましたが、その自信は完全に揺らいでいましたね。
そして、ふと読んでいた本で、知ったのが、このフィジオロジカル・スマイルの存在。
そういうわけで、これを知って、おもわず声をあげてしまった次第。
「うーん、なるほど」
生まれたばかりの赤ちゃんは、本能的に、生理現象として、無意識に微笑む。
どうやら、僕は半世紀近く、間違った知識を信じていたようです。
何人かの同僚と、僕が会社の土地でやっている野菜畑があるのですが、そこに、我が社のその女子社員が、家族全員で遊びに来たことがあります。
みんなで賑やかに、とれたて野菜のバーベキューパーティですね。
そこに、彼女が、ちょうど生まれて半年になった、ベイビーも連れて来てくれました。
僕は写真のベイビーの、生の姿をそこで初めて拝見。
生まれたてのしわくちゃの新生児だったベイビーは、可愛い乳児に成長していました。
見るからに子煩悩なご主人が、寸暇なく喋りかけていたのが印象的な野菜畑の昼下がり。
そのベイビーを抱っこさせてもらいましたが、こちらは赤ちゃんなど抱いた経験など、ほとんどない身。
生まれて4か月目の、まだ首も座らない赤ちゃんでしたから、さすがに緊張しましたが、それでもこちらが微笑みかけると、ベイビーはニッコリ。
それが、もうフィジオロジカル・スマイルではなく、こちらの不器用な「あやし」にも反応してくれている、ソーシャル・スマイルになっていることは、僕にも理解できました。
新生児のフィジオロジカル・スマイルは生理的現象ですが、それで、もたくさんのパパママは、この家族同様、それを見てうれしくなって話しかけ、微笑みを返すのでしょう。
そうやって、ベイビーのアクションに、たくさんリアクションを返してあげることで、ベイビーは、「僕が笑うと、パパママは笑顔になって、優しくしてくれる。」ということを次第に学習していき、やがてソーシャル・スマイルが出来るようになるわけです。
そして、やがてベイビーは、楽しい時や嬉しい時に、今度は、パパママの模倣ではなく、自分の意思で笑顔を見せてくれるようになります。
エンジェル・スマイルの誕生ですね。
これは、古今東西、どこのパパママもいうあのセリフですね。
「うちの子は天使だ。」
親バカ上等。
さて、新シャガが収穫です。
やはりなんといっても1番最初に作りたかったのはこれです。
ジャガバター。
これはいつでも、おかずでもおやつでも、オールマイティーに美味しい。
ついつい食べ過ぎますので、お塩パラパラは控えめに。
バターはカロリー3分の1のものを使います。
さて、畑で大量に取れたサンチュです。
通常は韓国料理で、焼肉に巻いて食べますが、ベジタリアンは肉はご法度。代わりにツナフレークと納豆を和えたものでガブリ。
両者の相性は抜群です。
これはクセになるおいしさ
さて、ライスを食べない食生活を送るものにとって、それに代わる主食がパスタ。
野菜と非常に相性のいいパスタ料理のレパートリーはどんどん広がります。
これは、スイスチャードというヨーロッパ産の葉物野菜を刻んで、ニンニクと鷹の爪で炒めたもの。
醤油ベースで、ピリッとして、美味しい一品。
これもパスタ。
こちらは、畑で採れたバジルをみじん切りにして、ジェノベーゼ風にパスタと和えました。
バジルの香りが食欲を誘う一品。
おいしい。おいしい。
これも、純正畑産の野菜で作った一品。
サンチュを細かく切って、玉ネギとツナを混ぜ、マヨネーズで和えました。
これは、サンチュが新鮮ならではの美味しさ。
結構量を食べても、カロリーの心配はしなくて済むのて、ダイエットしている人にはもってこい。
こちらはサンチュ。
畑で採れたタマネギと、ツナの油を切ってひと缶混ぜ、マヨネーズで和えたもの。
シンプルでおいしいですよ。
こちらも、カロリーオフの一品。
畑で採れたニラのグリーンベルト。
そして、なぜか安くて、家計に優しいもやしを市販のあんかけソースで炒めたもの。
毎食、小皿で食べられそうな一品。
これは、なんだかわかりますかね。
スイスチャードの茎の部分です。
ちょうど食感はセロリと一緒。
僕は、60歳手前にして、歯がボロボロですから、食べやすいように、ちょっと長めに茹でてボリボリ食べました。
マヨネーズでも食べましたが、これは焙煎胡麻ドレでも、美味しく頂けました。
さて、こちらはサンドイッチです。
けっこう食べ応えがありましたね。
一番下に、マヨネーズを敷き、その上に、バジルの葉を敷く。
それから、ツルインゲンを2段で合わせて20本。
その真ん中にはチーズを入れます。
これらの具を確認したら、こぼれないように気を付けて、バチンと重ね合わせます。
それを、真ん中でカットして、出来上がり。
ちなみに、僕はカロリーオフの玄米パンを使用しています。
料理のレバートリーが、ドンドンと増えていくのは快感です。
とても楽しい。
さあ、この夏は「ベジタリアン宣言」をしておりますので、まだまだ作りますよ。
さて、収穫のシーズンを迎えました。
春に植えた苗が、続々とたわわな実をつけ始めました。
ハーブたちは、実はつけませんが、葉の色艶もよく、いい香りを漂わせています。
この時期になると、畑からは目が離せません。
それでは収穫された野菜やハーブを一気に紹介いたしましょう。
まずこちらはハーブ。
レモンバームです。
鼻を近づけると、漂うレモンの香り。
この葉で、おいしいハーブティが飲めます。
これは、バジルです。
去年よりも多めに植えました。
今年はこれを、ジェノベーゼにする予定。
これはツルインゲン。
この大きさになればもう収穫OK。
これよりも大きくなってくると、実は自分の重さに耐えられないで、どんどんと落ちてしまいます。
去年は、うまくタイミングが合わず、かなり落としてしまいましたが、今年はしっかり収穫する予定。
これもハーブ。
カモマイルです。
カモマイルは、今回2種類植えましたが、こちらはジャーマンカモマイル。
この花の蕾から、甘い香りが漂います。
とてもおいしいハーブティが飲めます。
さて、こちらのビックサイズは、どちらともズッキーニ。
彼らは、畑のやんちゃボーイ。
ちよっと目が離せません。
蕾が付いたかと思うと、あっという間にビッグサイズに成長します。
スーパーに並ぶズッキーニとは、比べ物にならないくらい大きくなります。
さて、このビッグサイズはズッキーニではありません。
キュウリです。
こちらは普通サイズのキュウリ。
それでも、スーパーに並ぶ野菜よりは大きいですね。
前2シーズンは、キュウリは不調でした。
葉もすぐに枯れて来てしまい、実の数も少なく、形も歪なものばかり。
このあたりの畑をやっている方にお聞きしても、やはりキュウリでの出来はよくないとのこと。
土との相性なのか、病気なのか、原因は判りませんが、あまり芳しくなかった。
しかし、植えるエリアもいろいろと変えて挑んだ今シーズン。
明らかに、前シーズンとは、違う成長を見せてくれました。
ツルの伸び具合、葉のつき方、色艶ともに好調。
案の定こんなたわわな実をつけ始めました。
今年は期待できそうでキュウリです。
これはハーブ。
スペアミントですね。
去年は、オレンジミントやグレープフルーツミントペパーミントなど、いろいろな種類のミントを植えましたが、今年は、一番できもよく、一番香りが漂うこのスペアミントだけにしました。
僕は、ハーブの中ではこの香りが一番好きです。
採れたての生葉でいただくハープティは、格別に美味しいのですが、今年は、これをどう家に持ち帰って保存するかがテーマ。
いろいろと試してみます。
さて、これはトマト。
大玉の桃太郎よりも先に、プチトマトの実が色づき始めました。
赤い方はレッドチェリー。
黄色い方は、うす皮ミニトマトキラーズ。
トマトは、収穫時期になると、突っつきにやってくる鳥たちとの争い。
こにくらしいくらい、完熟したばかりのトマトを狙ってきます。
これは、その鳥被害に会う前に収穫出来ました。
そして、トマトも完熟すると、ドンドン落ちてしまいます。
ですから、収穫のタイミングが大事。
毎日マメに畑に通えれば、そのタイミングは逃さないのですが、これは仕事をしながらの畑管理ですのでなかなか難しいところ。
まあ、鳥も食べに来るほど、おいしいトマトにはなっているということですが。
低い位置で下から突っつかれているのはキジです。
その他、ハクビシン、イノシシなどいろいろな動物たちが、出来たての畑の野菜を虎視眈々と狙っています。
さて、この可愛い野菜は、これでカボチャです。
ミニカボチャのプッツィーニ。
これは、このサイズと形を活かして、ケーキなどの食材に使うと映える野菜。
これは、会社の女性スタッフにあげてしまうつもり。
子供たちは喜ぶかもしれません。
さて、反対にこのビッグサイズは、キュウリです。
こちらは、先ほどのキュウリとは違う品種。
加賀太キュウリです。
先ほどのキュウリもデカかったですが、こちらは、もともと大きなサイズになる品種。
ちょっと見ると、ズッキーニかなと見間違えてしまいますが、ちゃんとしたキュウリです。
包丁を入れると、とても瑞々しい。
味もキュウリと一緒です。
加賀野菜は、これ以外にも、今シーズンは、いくつか挑戦しましたがとてもユニークです。
さて、このユニークな形の野菜。
これはカボチャです。
ラグビーボールの形になるカボチャということで、面白そうなので定植してみました。
ロロンという品種。
畑の中で、僕が担当しているエリアには、こういう変わり種野菜を多く定植してあります。
根が好奇心旺盛ですので、定番野菜は、師匠たちのエリアで栽培。
実験的な野菜は、僕が担当。
そんな役割分担です。
ですから、失敗も多くありますが、このロロンは成功した例です。
さて、このころりんと丸いのは茄子です。
こちらは、京野菜の品種。
加茂ナスです。
京都の人には、比較的おっとりして、性格も丸い方が多い印象ですが、ナスが丸いのも、そんなお土地柄?
こちらは白ナス。
白いだけで、普通のナスよりもちょっと高級感がありますね。
八百屋で見かけた白ナスは、実際に普通のナスよりもちょっと高めの値段設定でした。
これも、店に並べられているものよりも、はるかに大きくなって収穫です。
さあ、こちらはメロンです。
メロンは難しいからやめた方がいいよと言われていたのですが、ダメもとで植えてみました。
2品種植えましたが、こちらの品種は、スウィートミニメロン。
なりは小さいのですが、これはとても甘いメロンに成長しました。
しかも思ったより、大量に収穫出来て、うれしい悲鳴。
あちこちに配りましたが、それでも余るので、持ち帰り、冷蔵庫で冷やして、デザートに一個ずついただいております。
こちらは、ゴーヤです。
ゴーヤはツル系の野菜で、成長してくると、アーチをすっぽり囲んで、見事なグリーンカーテンが出来ます。
夏の昼下がりは、その中でゴロリンとして、昼寝をするととてもリラックスできますね。
ゴーヤの収穫は、これからが旬になりますが、これは成り始めた最初の一本。
なかなか好調です。
これは、ピーマンです。
これも、予想以上に大きく実りました。
色艶ともに文句なし。
僕は、ピーマンが好きですので、苗も多めに定植しています。
さて、これはジャガイモ。
畝も三本半使って、今シーズンでは一番大量に定植したのがジャガイモ。
師匠曰く、今回は、「いまいち」という出来だそうですが、それは食べられないということではありません。
もちろん、おいしくないという訳でもない。
あくまで、形とサイズの問題。
緑の部分は、食べられないのですが、それが少々多く見受けられはしましたが、それでもその部分は切り取ってしまえば問題なし。
ジャガイモは期待していまた。
もう僕には、このジャガイモが、ポテトサラダやコロッケに見えてしまいます。
ちんちくりんのミニサイズでも、素揚げにして食べれば絶品。
これは、一粒たりともおろそかにせず、胃袋に納めますよ。
これは、いまのところ、ナスの品種の中では、一番絶好調の米ナス。
「コメナス」と読んでいましたが、これで「ベイナス」読むそうです。
これも、うれしくなるくらいのビックサイズ。
サニーレタスとリーフレタスです。
これは、春に植えた野菜の中で、一番早く収穫できます。
どちらも、外側から葉を向いていきます。
採れたては、すぐに食卓へ。
たくさん採れていますので、ドレッシングを各種揃えて、毎食いただいています。
いくら食べても太らないのがレタスです。
これはトルコ白ナス。
さきほどの、白ナスとは違う品種ですが、元気に実をつけています。
その他、収穫を迎えている野菜は目白押し。
楽しみな夏です。
さて、畑で大量に収穫してきた野菜です。
日曜日は、これと今までの在庫全て使って、一週間分の食事の作り置きをいたしました。
ほぼ、1日かかりましたが、冷蔵庫は作った総菜でほぼ満杯。
ちょっとばかり達成感がありました。
全て詰め込んだ後の冷蔵庫の状態です。
このために今年購入した真空パックシーリング機で、一食分ずつ袋詰めしてます。
一度作ってしまえば、あとは手間いらず。
基本的には食い意地が張っているので、こうなっていると何故か安心してしまいます。
では、トライしたメニューを順不同でご紹介。
何かを食べたくて食材をそろえるのではなく、この食材があるからこれを作る。
自然を相手にしていると、料理はそういうことになりそうです。
今は便利で、手元にある素材を入力すると、レシピが万単位で検索されますから重宝します。
僕のような料理素人でも、そのとおり作れば、それほど大きな失敗はなく作れます。
で、まずこれ。
畑でここまでおおきくなるかというくらい成長したズッキーニ。
これをどうしてくれようかと検索して出てきたのが、ベーコンとぷちトマトを加えて炒めたカラフルソテー。
味付けは、シンプルで塩コショーのみ。
ズッキーニの収穫はそろそろ終わりですが、まだ在庫はありますので、傷まないうちにどんどん使っていくつもり。
さて、こちら。
ちょっと写真ではおいしそうに見えないのが難ですが、素材は茄子とピーマン。
これをどうしようかと思っていたら、意表をついて出てきたのがポン酢炒め。
とろみをつけるのに片栗粉も少々。
これは、じんわりとおいしい一品。
冷蔵庫で一日置いたら、このとろみのところが、出来立てのときよりも美味しかった。
覚えておきない一品。
これは、シンプルそのもの。
ツルインゲンを茹でて、めんつゆとスリゴマであえたもの。
これは、おおきくなったツルインゲンを収穫してきましたが、僕の好みとしては、大きくなりきらない前の方が、やわらかくておいしい。
この大きさのツルインゲンを使用するときは、もう少し手を入れた料理のほうが美味しいかもしれません。
そして、ただいま畑で絶好調なのがまくわ瓜。品種名「銀閣」
畑では、これが大量に取れそうな気配。
まずは、このジューシーなまくわ瓜を、スムージーにしない手はないなと、牛乳と蜂蜜を混ぜてミキサーにかけました。
僕はこれをバナナを買ってきてよく作るのですが、まくわ瓜が採れるうちは、バナナはいらないと判断。
とても甘くて、美味しいスムージーになりました。
さあ、そしてこれ。
これもまくわ瓜ですが、こちらは絶品でした。
まくわ瓜をこの大きさにカットして、レモン汁と蜂蜜で和えたもの。
これを冷蔵庫で、冷やして食べたらおもわず声が出ました。
「うめーっ。」
レシピでは、これにレーズンが加わりますが、なくてもこれだけで十分に美味しい。
まだ、まくわ瓜は収穫できそうなので、また作ることにします。
これも、まくわ売りを使った一品。
特大の加賀太きゅうりがありましので、これと一緒に和えた浅漬けです
ポイントは、味の素をたっぷりかけること。
これで美味しくなるんだよなあ。
まくわ瓜は、まだまだ持ち帰りましたのでもう一品。
これは煮物です。
シーチキンを加えて煮込んだくず煮。
片栗粉も入れてとろとろにします。
でも、これは、ちょっと煮込みすぎて、とろとろになりすぎました。
香り付けに、青じそのみじん切をトッピング。
出来立ての熱々よりも、ちょっ冷めたくらいのほうが、味がしっかりとわかって美味しいかな。
さて、こちらはお好み焼き。
欠かせないキャベツは、畑では作っていないので、購入してきました。
一玉128円なり。
安いですね。
そして、たっぷりと入れた畑の恵みは、ゴーヤ。
畑でゴーヤが旬を迎えるのはこれから。
ゴーヤといえば、チャンプルーですが、こんな使い方もあり。
苦味は、カットした後、10分程度、水につけたらほとんど消えます。
マヨネーズ、ソース、青海苔、鰹節。
定番のトッピングを乗せたら美味しい。美味しい。
なので、市販の600g入り袋を全部使用して、大量生産いたしました。
ふっくらと作りたかったので、卵も多め。
何枚作ったか数えませんでしたが味は合格。
ライスは、食べない主義で、主食は主にパスタをしていました。
そのパスタにも、少々飽きていたところなので、主食扱いのお好み焼きはわが食卓には新鮮なもの。
作るときは、面倒なので一気に焼いて後は作り置き。
なんか、この状態の、お好み焼きを見ただけで、けっこう幸せな気分になります。
大家族を賄ってきたうちの母親は、とにかく大量に料理を作る名人でした。
一人前の料理を作っているのなんて見たことがなかった。
全部食べられるわけではありませんが、でもずらりと大量につくって、並べてあるともうそれだけで美味しそうに見えたものです。
これは、ゴーヤのなあんちゃて天ぷら風。
てんぷら粉ではなく、小麦粉をまぶして揚げました。
塩をパラパラとかければ、絶品のお惣菜。
さて、こちらはジャガイモの素揚げ。
畑で採れた、チビサイズのジャガイモを持ち帰って、つくりました。
小さいジャガイモは、皮をむくのが難儀で、剥いたら実の部分がほとんどなくなってしまうので、なんとか皮ごと食べられる調理はないかと、探したらこれがヒットしました。
水で洗って、後はそのまま素揚げするだけのシンプル料理ですが、これがうまいのなんの。
シンプル・イズ・ベスト。
このジャガイモの素揚げは、マイブームになっています。
幸い、このサイズのジャガイモは、誰も手を出さず、畑では確実に売れ残りますので、最後にそれを全部かっさらっていくつもり。
これは、ぎゅうぎゅうの冷蔵庫の中で、へたり始めてきたキュウリを一気に使いました。
新鮮でなくなってきたものは、火を通す料理で使用。
これは、卵とベーコンと一緒に、中華風で炒めてみました。
これで、キュウリは、復活。
へたっているのも気にならないおいしい料理になりまた。
こちらは、パスタです。
ホワイトソースがあったので、何かできないかと検索したらこれがヒット。
牛乳を入れてクリームパスタです。
一緒に炒めたのは、千切りキャベツ。
キャベツは、「業務スーパー」で購入した一玉128円のキャベツ。
キャベツは、畑では作っていませんが安くて大助かり。
さて、これは見るからに美味しそう。
納豆とツナの相性は抜群です。
これはそこに、畑で絶好調のスイスチャードを刻んで入れて和えてみました。
さあ、これは大量に作りました。
ポテトサラダです。
人参とハムは買ってきましたが、キュウリと玉ねぎとジャガイモは、畑で採れたたもの。
畑で、ジャガイモが収穫になった瞬間から、頭に浮かんでいたのがこのポテトサラダのイメージ。
満を持して作りました。
大量に作って、それを作り置きしておいて、後は食べたいときに食べれる。
この状況のなんと幸せなことよ。
一食分一袋にして保存していますが、これはコンビニに並ぶ総菜がヒント。
忙しい時には、車で食べますので、その時は、冷蔵庫から一袋掴みだして、持っていくだけです。
こちらも、野菜料理では、絶対はずせない定番の一つ。
かぼちゃの煮つけです。
検索したレシピを見ると、色々な作り方があるのですが、今回採用したものはいたってシンプルなもの。
めんつゆと砂糖に浸して、レンジでチンするだけ。
たげれど、これで非常に美味しい。
カボチャは、スーパーに並んでいるものは、4分の1個で、259円でした。
1個まるまるなら、1000円くらいしてしまうというわけで、これをまるまる料理して食べるのは、なんだかとても贅沢。
とても美味しいです。
これは、切って余った部分を、そのまま焼き野菜にするため、このままレンジにセット。
エバラ焼肉のたれの甘口でいただきました。
そしてこれが、ずらりと並べた、日曜日のランチ。
すべて手作りの野菜料理。
野菜料理フルコースです。
すべて、一日かけて、大量に作って、一食分ずつ袋詰め。
なので、今、冷蔵庫の中は、作り置きの総菜でパンパン。
これで暫くは、包丁は持たずに過ごせる予定。
食い意地が張っているのは、我が家系に面々と引き継がれているDNAによるものと推測しております。
畑で採れた野菜は、無駄に捨てることなく、全部お裾分けするか、胃袋に納めるつもり。
料理も楽しくなってきましたね。
さて、春に植えた野菜畑の収穫が絶好調。
めでたく我が家の冷蔵庫も、採れたての野菜たちでパンパンとなりましたので、彼らに敬意を評して今年はベジタリアン宣言をいたします。
これまでも、野菜畑の収穫シーズンは、宣言をしないまでも、それに近い形になっていたのですが、今年は徹底的にやってみようと思います。
「期間限定」と入れてしまうのはご愛嬌。
なにせ、意志薄弱なもの、こういうことは「宣言」してしまうに限る。
そうすれば、こちらも引っ込みがつかなくなるだろうという寸法。
「期間限定」は、とりあえず、10月にある、当社の秋の健康診断までといたします。
実は、春の健康診断の結果がやや問題ありでした。
原因は明白。
野菜畑がオフシーズンの間の食生活ですね。
一度下げた血糖値、尿糖値が、またジワジワと上がってきていました。
体重だけ抑えれば、健康というわけにはいかないようで、こりゃいかんというわけです。
ここで、3ヶ月間、畑の収穫野菜中心の食生活をきっちりとやって、見事に健康診断の結果から、C評価以下が消えたらしめたもの。
ベジタリアン生活が、健康に良いという自信になります。
もちろん、浴びるように飲んでいた自動販売機のドリンクも購入禁止。
ベジタリアンライフの対象とします。
これも畑の恵みハーブティと、我が家では夏の定番「青じそ」「赤じそ」ジュースでしのぎます。これがなくなったら、無糖コーヒーで繋ぎます。
コンビニで買うドリンクは牛乳飲み。
そのために、持ち歩き用ポットも三種類用意しました。
では、改めてベジタリアン宣言。
その1。
コンビニで、食べ物、お菓子類は購入しない。但し、眠気防止用のガムは除く。
その2
自動販売機で、ドリンク類は買わない。但し、牛乳は除く。
その3
一人で外食はしない。但し、付き合いもあるので、誰かと行く場合はその限りではない。但し、その際は、食事は野菜系、ドリンクは無糖系とする。
死ぬほど好きなラーメンも、3ヶ月間はお預け。
その4
食材として肉は購入しないが、スライスハムと薄切りベーコンは例外とする。
(さすがに、ポテトサラダに、ハムがないと味気ないので)
魚もオーケー。
何だか例外だらけの宣言で、ビシッとしませんが、こういうことに無理は禁物。
これならできそうかなという条件にして、粛々と実行することにします。
実は、ここで宣言をするよりも前から、事実上このベジタリアンの食生活は始まっています。
すでに二週間。
収穫野菜で冷蔵庫がいっぱいになってからは、事実上、ほぼ自給自足状態です。
料理の時間を捻出するのには一苦労ですが、やってみれば、なんとか行けそうかなという手応えです。
まあ、とにかくこの宣言をする一番の理由は、収穫した野菜は無駄にとたくないという思いがあります。
両親からは、「食べ物を粗末にするな」と教わってきた世代ですので、どこかでそれが染みついているのかもしれません。
会社の畑がスタートしてから、僕にとっては今年で3年目ですが、どうやら一丁前のお百姓のモードになってきたようです。
そして、このベジダリアン生活を始めて、もうひとつ期待すること。
それは、我が家のエンゲル定数の低下。
エンゲル係数は、中学の社会科の時間で習いましたね。
家計における食費の占める割合。
これが高いのが貧困層と教わりましたが、いやいや、貧乏でも、野菜を作って自給自足をしていれば、エンゲル係数は低いぞという社会実験も兼ねます。
定年退職後は、田舎で、野菜を作りながらスローライフをしたいという目標がありますので、これは、そのための実地訓練ですね。
還暦以後は、なにかしら農業関係の仕事をさせていただいて、田舎で細々と暮らしていこうという所存ですから、これは今からやっておきたいことでもあります。
でも、それよりもなによりも、自分で作った野菜は、どう料理してもみんな美味しいということですね。
野菜たちは、たとえ栽培に失敗して、小さくても、形がいびつでも、みんな食べられます。
鳥や小動物などの外敵にやられたもの以外は、基本オーケー。
捨ててしまうなんてもったいないもいいところ。
これは学習済みです。
要するに、不揃いの野菜たちは、スーパーに並べられないだけ。
おそらく、その理由で捨てられてしまっている野菜って、全国の農家の分を合わせたら相当な量になるような気がします。
ああもったいない。
ちょっと固かったりするりのもありますが、そのための調理です。
なんでも持って帰れば、調理して、とりあえず胃袋には収まりす。
その調理に失敗することもありますが、それだって食べられないことはない。
つまるところ、健康のためでもない。家計のためでもない。
おいしいから食べる。単純なことですね。
というわけで、偉そうな宣言をしてしまいましたが、もしこれを読んだ方で、僕がルール違反をしている現場をみかけたら、是非とも、鼻で笑ってくださいませ。
一番辛いのは、僕の主食であるラーメンを食べないことですが、10月の健康診断でそれなりの結果が出た暁には、最近、地元川越にオープンした、「ラーメン二郎」の、「もやしダブル」をニンマリといただくことにいたします。
安曇野に行ってきました。
6月の25日から27日にかけての旅行でしたが、やっとブログがまとまりましたのでアップいたします。
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久しぶりの連休で、安曇野に来ています。
安曇野は、特に計画していたわけではありません。
さて、安曇野3日目です。
この日は、午後は新幹線ですので、午前中いっぱいの安曇野めぐり。
前日、コースアウトして、まわれなかった「大王わさび農場」からスタートの予定。
それから、穂高駅の反対側になる安曇野山麓を急ぎ足で回るため、駅前でレンタカーを借りました。
6時間5300円なり。
さて、「大王わさび農場」に到着したのは、午前9時過ぎ。
売店やショッピングプラザはまだ開店前でしたが、園内は自由に見学できます。
わさび田もそうなのですが、僕のここのお目当てはなんといっても、黒澤映画で使用されたという水車小屋。
黒澤映画で水車小屋というと、僕の頭にピンと来たのは、なんといっても「七人の侍」。
「七人の侍」は、わが人生でも三本の指には入る大傑作です。
水車小屋のシーンというと、村の長老儀作爺さんが、村人たちに、「侍を雇うだ!」と野武士撃退法を伝えるシーンが確か水車小屋。
それから、大炎上する敵のアジトも水車小屋だったと記憶しています。
もちろん、どちらのシーンでもいい。
昭和29年に作られた映画のセットが残っているなら、この目で見てみたいと思ったわけです。
しかし、いってみると、水車小屋のシーンというのは、「七人の侍」ではありませんでした。
黒澤映画は、黒澤映画ですが、これは1990年に作られた「夢」というオムニバス映画の一話「水車のある村」でした。
なるほど、それはそうですね。
大炎上した「七人の侍」の水車小屋は、消防車を待機させて撮影したスタジオ内に作ったオープンセットのはずでした。
思い出しました。
もちろん「夢」も見ています。
「水車のある村」は、今は亡き名優笠智衆の出演した、この映画最後の一編。
確かに、水車は、この話の重要なアクセントになっていました。
さて、その安曇野の原風景が色濃く残る「大王わさび農場」
ここは、安曇野随一の観光スポットともいってもいいでしょう。
園内には、レストランも、ショッピングコーナーもあります。
「大王わさび農場」は、わさび田をそのまま観光スポットにしてしまったようなところ。
わさび田としては、日本一の規模です。
わさびを栽培するのに、最も大切なのは自然の湧き水。
この場所は、北アルプスの雪解け水が半年かかって湧き出す水で、濁りがないのが特徴。
上質のわさび栽培には、欠かせないものです。
ここでのわさび栽培は、平地式と呼ばれるもの。
この場所を流れる蓼川、万水川から、水路を引き、平坦地を数メートル掘り下げて、伏流水の湧き出るところに、砂で畝を作り、その両側にワサビを植え付ける方法をとります。
水路には、まんべんなく水流が行き渡るように、いろいろな工夫がしてあります。
掛け水は、小石を盛った隙間から水をしみこませる仕組み。
排水は、その水を水路に戻す仕組み。
そして畝と畝間の微妙な角度などなど。
そして、もう一つの条件が、年間を通して、水温を一定に保つこと。
12度から13度くらいだそうです。
そのために、夏の時期は、直射日光を避けるために、わさび田全体を、寒冷紗で覆います。
広いワサビ田一面に張られた寒冷紗は、この時期の安曇野の風物詩でもあります。
わさびは大変にデリケート。
しかし、そんな栽培法で、わさびたちを守っているため、大王のわさびは、時期に関係なく、一年中収穫可能。
ショッピングセンターには、そんなワサビを使ったわさびソフトクリームや、わさびコロッケも販売していますが、残念ながら、開店前とあって、やむなく次の目的地へ移動。
というわけで、昨日から引き続きの、ここまでの「大王わさび農場と道祖神めぐり」コースの動画はこちらです。
さて、次に向かった場所は、穂高駅の反対側、安曇野山麓の国営アルプスあづみの公園。
この公園の駐車場に隣接した山口家住宅からスタート。
この山口家も、昨日の等々力家同様、松本藩長尾組の大庄屋を務めた家。
母屋が築造されたのが元禄年間。
屋敷構えと、庭園の見事さは圧巻。
・・という説明なのですが、火曜日は残念ながら、休館日。
中に入ることはできませんでした。
実は、以前から、古い家には興味がありましたね。
定年退職後も、どこか地方で格安の古民家を見つけて終の棲家にしようと計画しています。
多少の、暑い寒いは、この際、我慢するつもりあり。
藁ぶき屋根でも、板ぶき屋根でも結構。
縁側があって、引き戸があって、少々の庭を眺められる。
山の向こうに沈む夕日。
そんな家に住む老後を想像しながらシミュレーションもしたかったのですが、休みではやむなし。
あずみの国定公園に歩を進めます。
ここは、園内でも新規オープンした「里山文化ゾーン」エリア。
岩原口から入園すると、そこに広がるのは、「懐かしの風景」エリア。
古田は、昭和20年代に開拓された水田。
「ぬるめ」と呼ばれる、水温を高めるための水路が水田周りに巡らせてあります。
そして、農家風のあずまやと、水車小屋。
このあたりの古き安曇野の農村の面影を残す景色は、やはりNHKの連続ドラマ「おひさま」の撮影に使われたという案内がありました。
鳥のさえずりが空にこだまするのどかな田園風景です。
この先に棚田も広がっているのですが、時間の都合で断念して、次のポイントまで車で移動。
次のコースは、「安曇野山麓ウォーキングコース」。
こんなコースです。
スタート地点にあるのは、八面大王足湯。
グルリとコースを歩いて、最後に足湯というコースでしたが、時間がないため一番最初に足湯につかることにしました。
さて、この八面大王。
八つも顔のある妖怪変化というわけではありません。
話は、その昔、大和朝廷が全国統一をめざしていたころに遡ります。
東北に力をもっていた蝦夷(えみし)を平定するために、坂上田村麻呂を大将にした朝廷軍が、その侵攻の足掛かりにする地として選んだのがこの安曇野の地。
信濃の国にきた朝廷軍は、住民たちから行軍に必要なものを搾取し始めます。
鍬は持っても、武器は持たない農民たちは、たちまち恐怖のどん底でパニックに陥ります。
そこに、安曇野の民を救わんとスクッと立ち上がったのが八面大王。
もともとが京の都でクーデターに失敗し、都を追われて安曇野に流れ着いたという猛者。
彼は再び、安曇野の地で朝廷軍に立ち向かいます。
朝廷軍に比べれば、圧倒的な兵力不足をものともせず、八面大王は、勇敢に戦い、最後はこの地に散りました。
安曇野の里を守るため、最後まで戦った八面大王が討たれた砦には、その後、たくさんの鬼つつじの花が咲くようになったとさ。
これが、この地に伝わる八面大王の伝説。
その大王の勇壮な面構えを見上げながら、足湯に使い、安曇野最後になるコースをスタートいたしました。
このコースは、小鳥のさえずりを聞き、郷愁を誘う農家の佇まいなど、日本の原風景を楽しみながら、心身ともにリフレッシュをしようというコース。
コースのポイントには、こんな案内板があり、非常に回りやすいコースでした。
しかし、なんとしても時間が足らず、コースはあちらこちらでショートカット。
挙句の果てに、道も間違う始末。
しかし道を尋ねれば、これでもかというくらい、丁寧に教えてくれる地元の人たちの優しさに気をよくしながら、昨日の疲れも何のその。
この日もまた、頑張って歩きました。
山裾に広がるのは、カラ松林。今はちょうど新緑の季節。
都会の喧騒に毒された身には、なんとも染み入る自然と人の手のコラボレーション。
それが里山の醍醐味です。
都会の風景も悪いとは言いませんが、やはり、自然を意識的に排除する分だけ、どこか頭でっかちな、綺麗に整いすぎた不自然さを感じてしまいます。
でも人間も、元を正せば自然の一部。
やはり、自然に対しては、謙虚に一歩引いて、相手を尊重しながら調和していくという姿勢の方が、人間らしいという気がします。
というよりも、人間の歴史をたどれば、ここほんの100年程度の著しい都市化以前は、人の歴史は、ずっとその歴史だったわけです。
人間は、ベーシックな部分では、やはり今でも、自然のお裾分けをもらって生きている。
都会にいると、どこかで人間は、傲慢になり、自然さえコントロールできるほど偉い身分なんだと、恐ろしい勘違いをしてしまいそうになります。
そんな人間の驕りが、今の環境問題の根っこあると考えて間違いなさそうです。
考えてみれば、僕らの子供の頃に、「環境」なんて言う言葉自体がありましたか?
おそらくなかったはずです。
どうしてなかったか。
簡単なことです。
つまり、昔々は、人間と環境の境がなかったんですね。
人と環境は一体だった。
だから、環境という言葉も存在しなかった。
それが、人間の頭が独り歩きから、暴走をはじめ、だんだなんとおかしな話になってきた。
我々の住んでいる世界は、人間様が真ん中にいて、その周りに環境があるなんて、考え始めたわけです。
つまり、人間が人間を特別扱いを始めてから、環境問題というやつが首をもたげてきたんですね。
人間と環境って、そもそも別の話だと思いますか?
おっと、話が変な方にそれ出しました。
閑話休題。
さて、安曇野です。
山麓道路を渡りしばらく歩くと、林の中にひっそりと立つ安曇野山麓美術館。
絵画に造詣が深いというわけではありませんが、素人のお遊びながらも、絵を描くのは好きですので、フラリと立ち寄ってみました。
この美術館はその名のとおり、山岳をモチーフにした絵画が展示されている美術館。
古民家風の造りが、こじんまりとして、落ち着く雰囲気。
催されていたのは、原田達也展。
絵画オンチとしては、恥ずかしながら存じ上げない名前でしたが、聞けば山岳画家としては有名な方。
ヒマラヤをはじめ世界各地の名山を描いてきた方です。
1997年、パキスタン・カラコルムのスキルプルム峰で写生中、爆風雪崩で死去。
ですから、今年でちょうど没後20年という節目の年なんですね。
僕は、基本的に風景画は描かないのですが、なるほど、こんな絵を描いてみるのもありだなと感じ入った次第。
僕は、筆もキャンパスも使わず、もっぱらお絵描きは、iPad と指専門。
でも、自分の登った山くらいは、「芸術」とまではいかなくとも、絵にしてもいいなと思いました。
絵というのは、心にゆとりがないと描けないものです。
還暦引退後、田舎に移住したら、まずはこのあたりから、人生を再スタートしてみようかなと思った次第。
ゆっくりと絵を描ける環境なんて、いまのところ、夢の夢。
まあ、待て待て。還暦までもう一息です。
今は、そんな明日のために、今日の仕事を頑張るとしましょう。
さて、気がつけば、列車の時刻は、迫ってきています。
もう泣いても笑っても、安曇野で回れるのはあと一箇所。
ガイドブックとにらめっこをして、安曇野散歩の最後に選んだのは、「曽根原家住宅」。
国指定の重要文化財です。僕の好きな遠い古の民家です。
まずは、一句。
古民家が時を隔てて文化になる
朝訪問した、山口家住宅が、残念ながらこの日は休館でしたので、最後の訪問先は、やはり古民家にいたしましょう。
古民家オタクとしては、賢明な選択でしょう。
安曇野には、重要文化財級の古民家が、あちらこちらにあります。
さて、曽根原家もまた、江戸時代松川組新屋村で代々世襲で庄屋を務めた庄屋の家柄。
建築年代は、17世紀後半。ですから江戸時代の慶安年間頃。
大梁の丸太、丸田半割材は、ほとんど曲がりのない断面円に近い均整の取れたもの。
これを格子状にかけわたし、その交点に小屋束をたてて小屋組みをした、いわゆる「本棟造り」と呼ばれるもの。
屋根は板葺き石置きスタイル。
間取りは、大きな居間に隣接して、上座敷と下座敷。
寝室となる奥部屋と小座敷。
そして、建物面積の半分以上が、土間と馬屋というレイアウト。
古民家オタクとしては、ワクワクしてしまいます。
300円なりの入場料を受け取ったオバアサンは、「それではごゆっくり。」といいながら
母屋に戻ってしまいましたので、観光客は僕一人。
冷暖房はなくても、ひんやりとした空気が漂う古民家。
旅の疲れもあって、奥部屋で、おもわずゴロリン。
目に飛び込んでくる天井の梁組と小屋束の織りなす幾何学模様を眺めているうちについウトウトとしてしまいました。
おっと、やばいやばい。
それでは、ここまでの、「安曇野山麓ウォーキング」コースの、動画はこちら。
さて、いよいよ電車の時間が迫ってまいりました。
レンタカーを走らせ、穂高の駅に着いたのが午後1時過ぎ。
名残惜しいですが、さて帰るとしますか。
歩きに歩いた月曜日でした。
歩数にして、38408歩。距離換算で29.41km。
あともう少しで、30km。
山手線を一周すると、ほぼ35kmですから、それにちょっと足りないくらい。
頑張った自分の足を、まずは褒めてあげることにいたします。
さて、安曇野散歩に最初に挑んだコースはこれ。
「桜並木と安曇野一望コース」
長峰山に登って、山道を歩き、光城山を経て、桜並木の山道を下ってくるというコース。
二つの山のビューポイントからは、北アルプスの全景が一望できます。
北アルプスに登ることは今はまだ無謀といわれてしまいそうですから、今回は、その北アルプスを、まずは、間近で眺めていくことにいたします。
スタートは、国道19号線から少し入ったところ。
長峰山の麓にある長峰荘。
安曇野市の保養センターです。
もちろん宿泊も可能なところ。
なるべく早い時間の出発にしたかったので、6時30分にホテルにタクシーに来てもらって、現地到着7時前。
さて、ここから標高933mの長峰山の山頂まで1.8㎞の登り道。
いきなり本日のクライマックスです。
標高差およそ400m。
この程度の標高差ならば、今までも、さんざん上ってきたので大丈夫のはず。
それに、こちらは、仕事で毎日10キロ近くは歩いているのですからこれくらい心配無用。
・・のはずでした。
しかし、しかしです。
情けないことに、登り始めて10分もしないうちに、息が上がってきました。
「おいおい、こんなはずでは。」
やはり3年間の山歩きブランクは、大きかったようです。
とにかく、自分の進むコースの山道を見上げるたびにため息。
そして、そのため息は、時間が経つにつれ、しまいには悲鳴に変わります。
こ、こんなはずでは・・・・
これは、いきなり、北アルプスの燕岳なんて、完全に無理でしたね。
今のこの脚力なら無謀もいいところ。
あちらは、標高2,763m。
標高差にしておよそ1000mの岩道です。
こんな情けない状況では、とうてい登り切れる道理がありません。
今回は断念して賢明でした。トライしていたら、おそらく大恥をかくところでした。
いくら仕事で日々歩いているとはいえ、やはり相手が自然だと同じようなわけにはいかないようです。
ヒーフーワーワー言いながらやっとの思いで山頂にたどり着いたのがおよそ30分後。
1時間にも2時間にも感じられた30分でした。
やっと山頂です。
トレッキングはまだ始まったばかり。
大丈夫か、今日は?
さて、長峰山の山頂には、立派な展望台がたっていました。
登ろうとして、ふとその先を見ると、見晴らしのいい山裾のベンチに老人が一人。
悠々と、そこから広がる雄大な景色を眺めています。
おいおい、こちらがこんな汗びっしょりで、ゼイゼイしながら上がってきたというのに、この爺さんは、顔色一つ変わっていないのか。
愕然としながらまずは挨拶。
声をかけると、老人は、ここまでは、車で上がってきたと教えてくれました。
なるほどね。それなら納得です。
その老人は、地元の方のようで、いろいろ聞いてみると、そこから見える景色を、詳しく教えてくれました。
聞けば、彼は一日おきにここに、ワラビを取りに来ているとのこと。
「いいじゃないですか。この景色。ゆっくり見てってください。」
長峰山山頂のライブカメラはこちら。
地元の老人も、太鼓判を押す風光明媚が、この長峰山山頂からの景色。
かの文人、川端康成も、井上靖も、かの画人、東山魁夷も、ここからの景色を絶賛したとのこと。
その景色を、さらにもっと上から眺めようと、早速展望台に上って、老人の説明を反芻しながら撮影。
見れば、山の中腹に横一直線に雲。
ここから推察する限り、おそらく、麓の山麓道路あたりから見上げたこの日の天気は曇りのハズです。
しかし、山頂まで登れば、空は見事に快晴。
関東から来た僕には、ここから眺めた景色は、多少の雲はあっても、ほとんど快晴に見えたのですが、空全体に、これだけ雲の量が多いと、こちらでは「曇り」とジャッジするとのこと。
先ほどの老人がそう言っていました。
それにしても、空のグラデーション。
すっきり快晴の景色も、もちろん最高ですが、こういう微妙なバランスの山もなかなか味わいがあります。
さて、長峰山の山頂からは、約3㎞の山道を、尾根伝いに歩いて、光城山に向かいます。
光城山は、こう書いて「ヒカリジョウヤマ」。
この季節の山道は緑に覆われています。
ウワズミカズラ、コバノガバズミ、エノキ、イヌザンショウ、イボタノキの緑の中、蝶の飛んでいない「蝶の森」抜け、ウダイカンバ、ネムノキ、ケヤキ、サンショウの緑の中を、第二ポイント光城山に歩を進めます。
途中に天平自然公園。
これは、天平と書いて「あまってら」と読ませます。
緑の山林はしばらく続きます。
アカマツ、イタヤカエデ、ホオノキ、カラマツ、ナナカマド・・・
そうこうしているうちに、光城山に到着。
ここは、遥か戦国時代にかなり規模の大きい山城のあったところ。
山城の名が「光城(ヒカリジョウ)」。
それで、ヒカリジョウヤマというわけです。
鎌倉時代にこの地に居を構えた海野氏の一族、光氏によって築城された山城です。
山頂には、古峯神社の古いお社。
火を奉る神社なのは、この山が戦国の時代、狼煙の拠点として利用されたから。
こんな山のてっぺんで、ちゃんと住所があるのにはビックリ。
山の頂から見下ろすと、目を引いたのが白い花をつけた木。
コブシか?
いや、コブシは、春に咲きます。
違うぞ。じゃなんだ。
同じようタイミングで山頂に上がってきた、登山客に聞いてみました。
「あ・・・あれは、山法師ですね。」
恥ずかしながら、今まで聞いたことのない花でした。
さて、光城山を後にすると、あとは、山を下る道。
ここが、「桜並木」になっている名所。
もちろん、この季節にはもう桜は咲いていませんが、桜の季節に思いを馳せます。
時刻は10時を回っていました。
登りの長峰山までは、しんどかったのですが、登り切ってしまえば、あとはなだらかな山道で、残るは下り。
ここは問題なく、景色を楽しみながら歩けました。
この時刻になると、光城山の山頂を目指して上がってくる登山客と、山道で多くすれ違います。
でもみんな、寡黙に淡々と上がってきますね。
僕のように騒がしく上がってくるのはいない。
それも、僕より年上のカップルだったり、主婦同士のペアだったり、若い山ガールだったり。
これは、もう一度、山歩きを鍛えなおさないとダメだなと痛感した下り道。
さて、そうこうしているうちに麓にたどり着きました。
あとは、平地の田舎町を歩き、出発した長峰荘まで戻るだけ。
本日最初の山歩きコース終了です。
このコースの動画をまとめましたので、ご覧ください。
さて、次に選んだのは、「旧篠ノ井線廃線跡コース」
近くのJR「明科駅」から、出発するコースですが、ここはゴールまでタクシーで移動し、反対にスタート地点を目指すことにしました。
そうした方が、次のコースへもまた、タクシーで移動するのに都合がいいと判断。
この移動のタクシーの運転手が、親切な方で、ゴール地点までの道すがら、そして、ゴール地点でも、親切にコースのアドバイスをしてくれました。
歩くのは、こんなコース。
篠ノ井線は、現在も走っている路線です。
この廃線跡は、路線の一部に、新ルートが開通したため、使用しなくなった部分が昭和63年に廃線になりました。
その跡地というわけです。
全線のレールと枕木はきれいに撤去して、歩くのに邪魔にならない、踏切や信号などはそのまま残してあります。
趣のあるトレッキングコースとして、自然遊歩道に整備されところ。
山道ではなく、線路の下に敷いてあった砂利をそのまま残してあるので。非常に歩きやすいコースでした。
コースの脇には、線路を自然災害から守るために植えられたケヤキの木が続きます。
篠ノ井線西条~明科間は、潮沢南側の山地の裾を削り、幾筋かの深い谷を埋めるという難工事の末、明治30年に開業した路線。
このあたりは、長野県下でも有数の地すべり地帯。
開通後も、しばしば災害に見舞われて、これじゃたまらんということで旧国鉄が新線引き直した区間です。
しかし、今はその面影はなく、のどかな絶好のトレッキングコースになっていました。
特に風情があったのは二つのトンネル。
「漆久保トンネル」「三五山トンネル」
ふたつとも明治時代に作られた総レンガ造りのトンネル。
特に、「三五山トンネル」は、2010年に一般公開されたばかり。
中に入ると、センサーで、裸電球がつき、その薄明かりが赴きたっぷり。
いかにも怪しげなモノノケが出そうな雰囲気で、パワースポットにもなっていそうなところです。
このあたりには、遠い平安の昔、坂上田村麻呂が、鬼退治をしたという伝説の残るところ。
お化けの一人くらい、面会できてもよいかなと思いましたが、残念ながら現れず。
トンネルを抜けると、北アルプスの山々が、鮮やかに視界に飛び込んできます。
そこからもうしばらく歩くと潮神明宮。
ここまで歩いてくると、明科駅は間近。
このコースの動画は、こちらにまとめました。
さて、明科駅から、タクシーで穂高の市街に向かいました。
次に選んだコースは、「わさび田と道祖神めぐりコース」。
わさびは、山からの奇麗な湧き水に恵まれた安曇野の名産品。
これは、昨日から気になっていました。
このコースのスタート地点は、「本陣等々力家」。
こんなコースです。
まずはスタート地点にある本陣等々力家。
等々力家は、江戸の初期からこの地にあった大庄屋。
松本城主である石川のお殿様が、釣りや狩猟をする際の、休憩場所として利用したところで、この辺りでは名家だったところ。
その屋敷構えは、まず長屋門があり、本屋の奥に、殿様座敷を設けという造り。
庭園も、桃山文化の名残が随所に残り、趣がたっぷり。
門の柱には、当地で起きた百姓一揆の際に、なだれ込んだ農民に鉈でつけられた傷がまだ生々しく残っています。
2011年に放映されたNHKの連続テレビ小説「おひさま」は、この安曇野が舞台。
主演は、井上真央。
この等々力家でも、奥座敷に繋がる渡り廊下で、ロケが行われたとのこと。
ここ以外にも、安曇野には、「おひさま」のロケ地だった場所の案内は、あちらこちらで見かけましたね。
入場料300円を払って中に入ると、ママ友ペアの先客がいて、僕の入場を待って、受付のオネエサンが丁寧にガイドしてくれました。
さて、本陣等々力家を出ると、目の前がすぐに東光寺。
この寺は、その前身を東龍寺といい、その開基が、今見てきた等々力家。
東光寺は、その正式名称が、禅宗 曹洞宗吉祥山東光寺。
この寺、門の周囲になぜかビッグサイズの下駄のレプリカが数体。
「願いが叶う安曇野 吉祥仁王さまの下駄」だそうです。
なんで下駄なのか?
これは禅宗の教えだそうです。
「脚下照顧」
どういう意味か。
これは、自分自身の足元をしっかり見つめて、一歩一歩着実に歩む中で物事が成就されていきますよという教え。
まあしかし、これだけ大きな下駄だと、大の大人でも一歩も歩けないんじゃなかろうか。
さて、この安曇野周辺には、町のあちらこちらにむ道祖神が祭ってあります。
道祖神は、村の守り神として、その多くは、道の辻や三叉路に立っています。
「五穀豊穣」「無病息災」「子孫繁栄」という、村人たちにとって、生活に根付いた身近な祈願をするために祭られてきた神様。
神像というと、通常は、凛々しい一人の立ち姿が多いのですが、この安曇野の道祖神たちは、皆カップルなんですね。
それも、遠慮がちに寄り添うものから、手を握るもの、堂々と腕を組むもの、抱擁するもの、なかには接吻しているものまで。
そのカップルの愛情の形態は様々。
よくみると、そのカップルを背後で眺めながら、いかにも嫉妬しているように、怖い顔でにらんでいる像もあったりします。
少々失礼かもしれませんが、安曇野の神様は、かなりユーモアたっぷりで庶民的とお見受けいたしました。
さて、そんな道祖神をチェックしながら、目指したのは、「大王わさび農場」
ところが、どこでどう道を間違えたのか、歩けど歩けど、目的地に着きません。
いい加減歩いたところで、あまりに様子がおかしいので、道行くおばあさんに尋ねたところ、完全にコースアウトしていました。
時計を見ると、戻るのは絶望的な時間。
とうてい、タクシーなど拾える場所ではなかったので、この日は、「大王わさび農場」は諦めることにいたしました。
幸い、穂高駅までは、そう遠くな距離でしたので、駅近くのホテルに向かいながら、立ち寄ったのが穂高神社。
このあたりでは、かなり大きな神社です。
上高地や奥穂高にも嶺宮があるので、その通称は「アルプスの総鎮守」。
ここは、9月に行われる「御船祭」が有名ですが、神社内には、そこで使われる大人船や子供船、木偶と呼ばれる人形などが保存展示されています。
ここにたどり着いた頃は、時刻も夕刻の4時過ぎ。
さすがに足は棒です。
本日行きそびれた「大王わさび農場」は、明日朝一番で行くことに決めて、歩きに歩いた月曜日はこれにて終了。
ホテル到着後は、ドボンと湯船につかり、集めてきた資料に目を通す間もなくパタンキュー。
それでも、自然の空気をたっぷりと充満できた体には、なんとも心地よい疲労感。
定年退職後の、田舎暮らしを十分にシミュレーション出来た一日となりました。
さあ、明日も早起きするか!