あまりにも有名すぎる、映画史上に燦然と輝く最高傑作。
今だとどうかわかりませんが、僕が若い頃に見た映画のランキングものでは、まず必ずと言っていいほど、この「市民ケーン」は、ベスト3には入っていました。
今から、80年も前の映画ですが、今では当たり前になっている斬新な映画的技法が満載。
この作品をお手本にした、その後の作品の例は数知れず。
この映画を作ったのは、オーソン・ウェルズ。
当時まだ25歳。
彼の名を一躍有名したのは、ラジオ・ドラマ「火星人襲来」でした。
彼は、このドラマを迫真の臨時ニュースからはじめ、、目撃者の回想を基にしたドキュメンタリー構成で演出。
この前例のないスタイルで、このドラマは、聴取者にホンモノの火星人襲来事件と勘違いされ、全米がパニックに陥るという事件になります。
これがいわゆる「アメリカを震撼させた夜」事件。
この話題性に目をつけたRKOが、この若き天才に全権を委任して作らせたのがこの映画「市民ケーン」。
ちなみに、この作品の前に彼により企画され没になった映画があります。
それが「闇の奥」。
あら、これどこかで聞いたことのある名前だなと思ったら、あのフランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」の原作でした。
没になった理由は、お金がかかりすぎるからとのこと。
まあ、然もありなん。
そして、次に出された企画がこの「市民ケーン」だったというわけです。
この映画の主人公には、モデルがいます。
それは、全米で巨大なメディア帝国を作った、ウィリアム・ランドルフ・ハーストという人。
ハーストという名前で、僕がまず思い出すのは、彼の孫娘パトリシア・ハーストの誘拐事件。
1974年のことでしたから今でも覚えています。
パトリシアを誘拐したのはテロリスト集団SLA。
彼らは、この大富豪一族に莫大な身代金を要求しましたが、結局彼女は解放されず。
それどころか、二ヶ月後には、パトリシアは、そのテロリストらとともに、戦闘服を着て、銀行を襲撃する一団に加わっていたという大スキャンダル。
「資本主義は敵、資本家は敵」というテロリストからターゲットにされるほどの財産を、一代で築いたのが、ウィリアム・ランドルフ・ハーストというわけです。
さて、才気煥発、恐れ知らずの若きオーソン・ウェルズ。
その新聞王がまだ存命のうちに、その生涯をネタにして、コキおろすような作品を作って公開しまったのは、まさに彼の勢い。
しかし、これで時のメディア王を怒らせてしまうところまでは、彼も計算できなかったか。
当然ながら、この映画は、彼の支配するマスコミから、徹底的な攻撃を受けるという憂き目にあいます。
故に、これほどの大傑作にもかかわらず、映画は商業的には大惨敗。
アカデミー賞も、9部門にノミネトートされながら、受賞したのは、わずかに脚本賞のみ。
この作品が、正当に評価されるようになったのは、ずっと後年になってからというわけです。
しかし、この映画の中に、彼の斬新な映画的なアイデアが詰まっていたことは事実。
演劇の経験はあるにせよ、映画はズブの素人だった、彼は、この作品を制作するにあたってRKOの試写室で、ジョン・フォードの「駅馬車」を繰り返し見ていたそうです。
そこでふつふつと湧いてきたアイデアを、「怒りの葡萄」や「嵐が丘」を撮った職人撮影監督グレッグ・トーランドにぶつけます。
この映画が先鞭を切った、もっとも有名な撮影技法がパン・フォーカス。
パンというと、カメラをグルリと回す撮影手法かと思ってしまいますが、さにあらず。
これは、画面の手前と奥のどちらの被写体にもピントを合わせるという撮影法。
最近では、ディープ・フォーカスとも言われています。
映画にこんなシーンがありました。
子供時代のケーンが、後見人に引き取られるというシーン。
画面の手前で両親が、後見人と話し合いをしています。
そして、その部屋の窓枠を超えたその向こう側で、雪遊びをしているケーンにもしっかりピントがあっています。
強烈な照明をあてないと、できない撮影なのですが、こんなシーンを、それまでの観客は見たことがなかったというわけです。
撮影で言えば、映画の冒頭に、こんなシーンがありました。
ケーンが死を迎えようとするお城のような大邸宅の夜。
カメラが、グーッと城に寄っていき、その豪華な柵に近づいていくのですが、なんとそのままカメラはその柵を通り抜けてしまう(ように見える)という映像。
ヒッチコックの同時期の映画「レベッカ」の冒頭にも、同じようなシーンがありましたが、この種明かしは、カメラが通り抜ける瞬間に、その柵が上下に分かれるというもの。
何かの本で読んだ記憶があります。
この撮影手法は、後にたくさんの映画で模倣されました。
劇場の舞台から、カメラがスルスルと上がっていき、何事かと思わせると、天井で会話している二人にフォーカス。
とにかく、カメラの動きがいかにも怪しげ。
なにかやりそうで、目が離せないという感じが、全編に漂っていました。
今回再見して新たに気がつきましたが、部屋の中の写真にカメラが寄って行ってフィックスすると、その写真の中の人物が、そのまま動き出すというシーンなんてのもありました。
そうそう、それからこの映画で忘れてならないのがカメラポジション。
映画評論家の町山智浩が言っていました。
「この映画には、当時のハリウッドのスタジオ撮影には、絶対映らないものが、頻繁に画面に登場する。それは、天井。」
そう、つまり、カメラが徹底的にローアングルなんですね。
ローアングルの映像は、基本的に水平のアングルよりも、エモーショナルが増幅されるというのが、今ではカメラワークの常識。
この法則を、はじめて映画を撮ろうという青年が、天性の映像感覚で理解していたということでしょう。
撮影時は、床に穴を掘ってカメラをセットしたと言います。
とにかく、極端なローアングル。
ローアングルといえば、我が国にも一人忘れてはいけない監督がいます。
小津安二郎ですね。
彼が、その手法を取り入れるのにあたって、果たしてこの「市民ケーン」の影響があったかどうか。
「市民ケーン」は、1941年の作品。
小津安二郎の作品は、それ以前にもありますから、微妙なところです。
ちょっと気になるので、調べてきます。
さて・・
実は、「市民ケーン」が日本で初公開されたのは1961年のこと。
しかし、小津監督は、戦時中は、シンガポールへ配属され、アメリカの映画を好きなだけ見られる立場にあったようです。
そこで、後の小津組に加わる面々と、戦時中にあっても、敵性と言われ、日本では御法度だったアメリカ映画をつぶさに研究。
後に、小津は、あのチャップリンよりも素晴らしいと、トーキー映画におけるオーソン・ウェルズの才能を大絶賛しています。
直接、「市民ケーン」のローアングル撮影に影響されたという資料は見つかりませんでしたが、当たらずも遠からずと言ったところではないでしょうか。
もっとも、小津監督が、そのローアングルで狙った効果は、「市民ケーン」とは、だいぶ違う気がしますが。
ちなみに、10年ごとに世界中の映画評論家にアンケートを取る「史上最高の映画ランキング」で、それまで不動の一位だった「市民ケーン」を抜いてトップに輝いたのは、小津安二郎監督の「東京物語」でした。
ローアングルの効果おそるべし。
カメラの技法は、今では恐ろしいほどに進化を遂げています。
それに、現代のCG技術を駆使すれば、監督が望めば不可能な映像など、ほとんどないのはないでしょうか。
しかし、80年前という、アナログ時代の技術ということを考えると、それはまたそれで十分に楽しめるというもの。
つまるところ、映像にインパクトを与えるのは、いつの時代も、まだ先人が手をつけていないアイデアをいかに映像表現として取り入れるかということ。
その意味では、25歳の、オーソン・ウェルズには、そのアイデアが満ち満ちていました。
彼の老けメイクも見事でしたよ。
彼の盟友ジョセフ・コットンも、映画の中では、その老後を演じていましたが、こちらも上手に化けていました。
NHKの大河ドラマのような、如何にも作り物っぽい「老けメイク」の違和感はまったくなし。
現代のような特殊メイクなどなかった時代であることを考えれば、これもたいしたものです。
今回改めて見て、思い出したのが、「ゴッドファザー」におけるマーロン・ブランドの老けメイク。
「ゴッドファザー」には、どうしても出たかったマーロン・ブランドが、そのアピールに、あの有名な綿を口に含んだ老けメイクのテスト映像をコッポラ監督に送って、ビトー・コルレオーネ役をゲットしたというのは有名な話。
彼が、その役作りにおいて、この「市民ケーン」のオーソン・ウェルズ式メイクを参考にしたことは想像に難くありません。
なにせ、これですから。
のちに彼が、オーソン・ウェルズの幻の企画「闇の奥」を原作にした「地獄の黙示録」に出演するのも、なにかの因縁かもしれません。
この映画の斬新なところは、その構成にもあります。
映画は、ケーンが亡くなるシーンからスタート。
臨終の間際に、謎の言葉をつぶやいて亡くなります。
「薔薇のつぼみ。(ローズバッド)」
これが何の意味を持つのか。
それを聞きつけた新聞記者が、関係者の証言を聞き取りながら、その真相に迫っていくというのが映画の構成。
あのラジオドラマ「火星人襲来」にも、使われていた手法です。
これにより、映画の時制は複雑に交錯。
彼が得意とするドキュメントの手法ですね。
それまでにも、冒頭のシーンに、ラストで戻るといったような演出はありました。
しかし、この映画のように時間が複雑に前後するという構成の映画は、それまでにはなかった。
この手法は、後にたくさんの名監督たちに影響を与えました。
あの黒澤明監督の「羅生門」もその一つでしょう。
「生きる」などにも、影響はありそうです。
スタンリー・キューブリックの初期作品「現金に体を張れ」も、時間軸を大胆に前後させる構成の作品でした。
そして、そのキューブリックのこの作品の影響をもろに受けたのが、クウェンティン・タランティーノ監督の「レザボア・ドッグス」や「パルプ・フィクション」。
最近僕が見た映画では、大林宣彦監督の「理由」という作品も、その構成においては、大いに「市民ケーン」イズムを継承した作品に思われました。
この作品は、ドキュメンタリータッチの演出をかなり意識していますから、こんなシーンもありましたよ。
財を成したケーンが、時の権力者アドルフ・ヒットラーらしき人物と一緒に、バルコニーに立っているというシーン。
このシーンを見てすぐに思い出したのが、ロバート・ゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ 一期一会」。
この映画では、主人公が、ジョンソン大統領や、ジョン・レノンなどの著名人と、映画のシーン上で共演するというモキュメンタリー演出がありましたね。
それから、ウッディ・アレン監督の「カメレオンマン」。
周囲の環境に順応して、姿を変えてしまうという特異体質の持ち主が主人公。
この映画もモキュメンタリー形式で、実在する人物の当時のドキュメンタリーフィルムの中で、ウッディ・アレンが共演を果たしているのは、ルー・ゲーリックやベーブ・ルース、作家のスコット・フィッツジェラルド。
そうそう、それからこの「市民ケーン」のモデルにもなった新聞王ハーストとその愛人との共演も果たしていました。
ところで、この映画は、冒頭の「薔薇のつぼみ」の謎を探るというミステリー形式の構成になっていますが、その「薔薇のつぼみ」とはいったい何だったのか。
新聞記者は、その謎には結局たどり着けないまま終わります。
一応映画のラストでは、暗示的に、処分されていくケーンの所有物が暖炉に放り込まれて燃やされるシーンで、少年時代に彼がよく遊んだ雪ゾリに刻まれた名前だったいうオチ。
(ネタバレだなんて言うべからず。この作品はもうとっくにパプリック・ドメイン。これだけの映画史に残る傑作を、今まで見ていないあなたが悪い)
しかし、この「薔薇のつぼみ」には、実はランドルフ・ハーストにとっては、もっと特別な意味があったんですね。
彼が、妻との婚姻を続けたまま、年下の女優マリオン・デイビスを愛人として寵愛したのは知る人ぞ知る事実。
彼は、彼女のために、サンフランシスコに、ヨーロッパのお城のような邸宅を作って住まわせました。
そして、なんと彼女のために、コスモポリタンという映画会社まで作って、女優活動をバックアップしています。
(もちろん、映画にもしっかり描かれています。)
そのハーストと愛人マリオンとの、ベットの上での二人だけのプライベートな隠語が、実は「薔薇のツボミ」。
つまり、これ彼女の性器の愛称だったという話。
オーソン・ウェルズは、これをどこで聞きつけたのか。普通なら当事者二人しか知らないはずの秘密を、暗に暴露してしまったというわけ。
ハーストほどの権力者が、たかが自分をネタにされた映画を作られたぐらいで、こうもマジに怒り心頭になるわけはないだろうと、どこかで思っていましたが、なるほどこういうことなら話は納得。
通常、男としては一番知られたくない恥ずかしい話を、これだけの映画史に残る名作として公然と、しかも永遠に晒されてしまったとあっては、たとえ、齢80歳をすぎた老翁でも、怒るのも無理からぬ話かも知れず。
若きオーソン・ウェルズ、うーん、確かにちょいと調子に乗りすぎたかもしれません。
ちなみにどこかの国の権力者などは、どれだけスキャンダルを暴露されても、依然涼しい顔をし続けていますがね。