ブータン関係の本には、かなりの割合で旅のエッセイが多いのですが、本書は珍しくアカデミックな見地からアプローチした一冊。
歴史的、文化的、そして農業の実態など、さまざまな角度からブータンが掘り下げられています。
そもそも、ブータンと日本の関わり合いは、他国と比べてかなり濃密だったようです。
ブータンというと、人々が真っ先にいうのが「幸福の国」。
これは、いまやブータンの代名詞とまでなりました。
GNH のアンケートで、国民の97%が幸福と答えたのは本当のこと。
2008年に制定されたブータン憲法にも、GNH が政治の指針となると定められているのも本当のこと。
貧しいながらも、国民が幸福を感じて暮らしているというのは嘘ではないでしょう。
でも、ブータン国民が、初めから幸福であったか。
歴史上、世界のどことも、戦争をしたことはないのか。
紛争はなかったのか。内紛はなかったのか。
いやいや、実ははそんなことはありません。
そのあたりの歴史も、本書はきちんと伝えてくれています。
ブータンが王国になったのは、20世紀のはじめ。
それからの100年の間でも、やはりそれなりのイザコザはあったわけです。
とりわけ、第四代国王の統治していた時代は政治的にも不安定で、隣国との紛争も、少なからずありました。
国王自身も、その間二度にわたって暗殺未遂事件に巻き込まれています。
とりわけ、ブータンを苦しめたのは難民問題。
隣国チベットの亡命者問題。
ネパール難民問題。
そして、ついにはブータンの軍隊が立ち上がるに至ったアッサム独立派ゲリラ問題。
なんだよ。
幸せの王国のブータンだって、ちゃんと他国と喧嘩してるじゃないか。
国と国の喧嘩を戦争と言います。
実はブータンにも、軍隊はあります。
まあしかし、この問題の場合、インドの内政問題が、ブータンに飛び火したという形の軍隊出動。
インド政府を悩ませていたアッサム独立派ゲリラは、本拠地をブータン側において、インドに抵抗運動を仕掛けていたわけです。
国際法上、ブータンは独立国であるため、インド政府は、ブータン側に逃げたゲリラたちを、国境を越えてまで追撃できません。
そこで、インド政府は、ブータン側に圧力をかけます。
ブータンに逃げ込んだゲリラたちを国内から追い出せ。
さもなければ、我が国は、ゲリラを援助保護しているとして、ブータンに対して武力攻撃を行う。
これが2003年のこと。
これを受けて立ち上がったのが当時の第四代国王。
え? 国王が立ち上がった?
そう。
これには、当時のブータン国民は一斉に仰天しました。
一応「王国制」の国ですから、軍隊は名目上は国王の指揮下にあります。
しかし通常ならば、国王は首都に残って、将軍の称号を持ったを軍隊の最高司令官が現地に赴き指揮に当たるもの。
誰もがそう思っていました。
ところが、実際に首都ティンプーに残ったのは将軍の方。
ことを収めるのに、自ら軍を組織して、現地に向かったのは第四代国王自身でした。
しかも、その軍隊の中には、自らの次男もいたというからさらに驚き。
結果から言ってしまうと、この軍事作戦は成功。
およそ二日間でブータン国軍は勝利しました。
アッサム派ゲリラは、ブータン国内から一掃。
成功とは言っても、ブータンの国軍の中にも11名の死者が出ました。
ですから立派に戦争です。
国王自らが出陣して、大勝利ということになれば、首都ティンプーは大騒ぎ。
通常なら、街では凱旋パレードで、国民は大盛り上がり。
よその国を見れば、そういう展開になっておかしくない。
しかし、この第四代国王は違っていました。
この電撃作戦の後、ブータンでは歓迎式典は一切なし。国民行事もなし。
国王は、ただ無言で帰還し、そのまま国王としての日常生活に戻っただけ。
実際は、この軍事作戦があったことさえ知らなかった国民がかなりいたそうです。
後に語られた王妃の手記にあった言葉。
「私たちは、この軍事行動で亡くなった11名の戦士と、相手方ゲリラたちの尊い命に対して、冥福の祈りを捧げた。」
国の一大事には、自らが陣頭指揮を取り、自らが現地に向かってそれを収める。
そして、勝利しても、それを誇らず驕らず、終われば何事もなかったように普通の暮らしに戻る。
こんな、歴史ドラマの中にしかないないような国王が、わずか15年ほど前に実際にいたというのが驚きです。
ちょっとカッコ良すぎ。
しかも、この国王が、現地に赴いてまず何をしたか。
問答無用で、いきなりドンパチ始めたわけではありません
これは、掃討されたゲリラ側の兵士が証言していることなのですが、国王はまず話し合いで解決しようとしたということ。
熱心に丁寧に、それぞれの立場を超えて、ゲリラたちに対して、説得に努めた。
お互いが殺しあうことをギリギリまで回避する解決策を、最後まで模索していた。
つまり、国王にとっては、この解決を見出せずに、最終的に、お互いが殺しあうことになったこの軍事行動は、もうその時点で敗北に等しかったのかもしれません。
結果的に、勝利となってもです。
国王は、このゲリラ掃討作戦に30000人程度の兵士を率いることは実際可能でした。
しかし、彼はそれを潔しとせず、士気の高い精鋭670人のみを率いて作戦に当たったとのこと。
作戦を終えて、兵士たちをねぎらった国王の言葉というのが残っているのですが、これがちょっとスゴイ。
「戦争行為において誉れとできるものは何一つない。一国が紛争状態にあることは決して好ましいことではない。いつの時代にあってもそうであるが、国家にとって最善なのは、紛争を平和裏に解決することである」
兵士たちに対して行った演説でも国王は、こう言っています。
「ブータン軍の目的は戦争をすることではなく、平和を保つことである。」
なんだか至極当たり前のことなんですが、我が国の最近のキナ臭い安保法制に対する姿勢を見ていると、この一番大事なことに対するネジが緩みっぱなしな気がしてなりません。
日本とブータンでは、国の規模が違う。
背負っているものが違う。
日本の国を「安定させている」のがご自慢の、現政権の皆様はそういうかもしれません。
いやいや。
そうではないですよ。
人口1億2000万人の我が国も、73万人のブータンも、国民一人一人の命の重さは同じです。
これ以外にも、いろいろなブータンの掘り下げ方をしている本書ですが、ちょっとこの部分がグッときてしまいました。
こういう人物が国王なら、独裁政権もまんざら悪くないかとちょっと思ってしまった次第。
でも、こういう国王なら、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という世の常だって、ちゃんとご存知なのでしょう。
自らを俯瞰できる視点をもち、自らを律することが出来てこそ人物として一流。
そうではない人物が独裁政権をとった国の末路は、世界中の人が知っています。