今回は、このイラストを描きたくなって、この映画を選びました。
場面は、映画の大円団。
オリエント急行の客車に集められた事件の容疑者、12人がズラリというシーンです。
これがなかなかすごい顔ぶれ。
アンソニー・パーキンス
ヴァネッサ・レッドグレイヴ
ショーン・コネリー
イングリッドバーグマン
ローレン・バコール
ジャクリーン・ビセット
マイケル・ヨーク
さらに、このシーンにはいませんが、ナイフで刺されて殺される被害者にはリチャード・ウィドマーク。
名探偵エルキュール・ポアロには、アルバート・フィニー。
そして、ポアロの依頼者となる列車の管理会社のオーナーに、マーティン・バルサム。
みんな単独で主演も張れるトップスターばかりです。
まさにオールスター・キャスト映画。
ミステリー映画のキャスティングと言うのは案外難しいものです。
なぜならば、感のいい観客なら、ストーリーとは関係なく、映画の配役を見ただけで、真犯人の目星をつけてしまうからです。
しかし、これだけのスター俳優を集めると、どうでしょう。
もはや誰が真犯人でもおかしくないと思ってしまいます。
僕は、初見当時、アガサ・クリスティーの原作を読んでからこの映画を見ましたので、結末は知っていたわけですが、もしもそんな前知識なしに、この映画を見たら、映画の進行中に、犯人の予想が目まぐるしく変わっていったような気がします。
乗客が1人ずつポアロの事情聴取に応じていくと、脇で聞いていたにマーティン・バルサムが、その度に「犯人はこいつだ」と言ってしまう笑わせどころがあります。
ポンと手を打って「よしわかった!」とやれば、角川映画の金田一耕助シリーズで、加藤武が演じた、あの警察署長のギャグとほぼ一緒。
それに説得力を持たせるのに、このオールスター・キャストが効いてくるんですね。
どれだけ疑わしくても、その他大勢の端役の中に、真犯人がいるというのでは、ミステリー映画の暗黙のルール違反といわれても仕方ありません。
イングリッド・バーグマンが、地味で神経質な宣教師夫人を演じていますが、あの大女優が、容疑者の中では、もっとも犯人らしくない容疑者を演じているからには、絶対なにかある。
おそらく彼女が、真犯人か、もしくは有力の共犯者のどちらかだ。
映画の細かいディテールは理解できなくても、彼女が容疑者の一人として、ポアロの前に座っただけで、観客にそう思わせてしまうのは、まさにキャスティングの力でしょう。
当初、イングリッド・バーグマンにオファーされた役は、老齢のロシア貴婦人役だったそうです。
大女優としての彼女の風格を考慮すれば、妥当なオファーだったと思いますが、実際に彼女が選んだのは、それとは正反対な役でした。
しかし、彼女は自分のイメージとはかけ離れたこの役を、巧みなスウェーデン訛りの英語で、見事に演じてアカデミー賞の助演女優賞を獲得してしまいます。
アンソニー・パーキンスは、刺殺された実業家の秘書役でしたが、この頃の彼には、幸か不幸か、あの「サイコ」の怪演のイメージが定着してしまっています。
それを狙ったかどうかは定かではありませんが、この秘書役にはマザコンっぽいキャラを与え、あのノーマン・べ一ツを彷彿とさせる演技をさせるわけです。
この秘書は、ポワロと最初に取り調べを受けるのですが、このキャスティングだけに、観客の目には、彼が最も疑わしい容疑者に映ってしまうわけです。
ション・コネリーもそうですね。
とにかく、ジェームズ・ボンドとして、世界中に股をかけて活躍したスパイというイメージが、この人の俳優としてのオーラになってしまっています。
物語とはなんの関係もないとはいえ、007俳優としての彼のイメージは、見ている観客の推理にも多大な影響を与えることは必至。
ジャクリーン・ビセットは、個人的には世界で最も美しいと称賛している女優ですが、もう彼女が容疑者の一人としてそこにいるだけで、この人には真犯人であってほしくないという心理がこちらの方に働いてしまうのがファン心理というもの。
とにかく、小説であるなら、すべては書き手の文章力にゆだねられるものが、映画では脚本だけでなく、配役そのもので、物語が悟られてしまうこともあるわけです。
故に、本作のオールスター・キャストは、単なる話題稼ぎということではない、ミステリー映画としての質を高める上での必然性もあったと考えていいと思います。
あの結末ならなおさらです。
その意味でも、映画冒頭の、俳優名が一人一人示されるシンプルなタイトル・クレジットは、もうそれだけでワクワクさせられました。
オールスター・キャスト映画というと、豪華絢爛にはなりますが、映画全体のイメージが散漫になってしまうというのが大方の意見です。
大味な大作になることが多く、なかなか傑作にはなりにくいもの。
しかし、そんな中にあって、本作は、オールスター・キャスト映画の稀有な成功例だと思っています。
なぜ、本作がオールスター映画として成功したのか。
当然それにはいろいろな要素が挙げられると思いますが、その中でも大きいと思うことが一つ。
それは、本作が、これだけの大スターを、雪で立ち往生したオリエント急行という閉塞空間に一堂に「集めた」ことによる効果ですね。
これが絶大であると思っています。
僕は、基本的にはオールスター映画に、けっこう目がありません。
作品のクゥオリティ云々というよりは、ただ単純に根がミーハーなので、「お祭り」騒ぎのワクワク感が好きなんですね。
オールスター・キャスト映画というと特に戦争大作に多く「史上最大の作戦」「パリは燃えているか」「遠すぎた橋」などが思い浮かびます。
「80日間世界一周」なども好きな映画です。
古くは「グランド・ホテル」なんていう名作もそうでした。
以外に、知られていないところでは「キャンディ」というエロチック・コメディにも、そうそうたる当時の大俳優たちが顔をそろえていました。
ただ、どのオールスター映画にも、一応にいえることは、スター同士の共演場面は意外と少ないということです。
つまり、オールスターが共演しているのは、宣伝用ポスターだけで、実際の映画では、出番や見せ場は、別々に独立していることが多いということ。
要するに、事実上の「オールスター共演」には実現していないんですね。
ところが、そんなあまたあるオールスター映画の中で、この「オリエント急行殺人事件」だけは違っていました。
前述したとおり、本作には、そのオールスターが、ストーリー的必然性を持って、オリエント急行の一車両に、ズラリと並ぶという「共演」シーンがあるということです。
それは、描いてみたくなったイラストです。拙いイラストではありますが、やはり絵ヂカラがあります。
アカデミー賞の授賞式でもない限り、こんなスター勢揃いのシーンがある映画がちょっと思いつきません。
このシーンのインパクトだけは、如何にアガサ・クリスティの筆力をもってしても、小説では表現できないことでしょう。
映画にのみ可能なビジュアル効果であったといえると思います。
その意味では、本作は、まさにオールスター映画において唯一無二の最高峰といっていいのかもしれません。
アガサ・クリスティによるこの原作小説は、発表当初「十二の刺傷」というものだったそうです。
「十二」と聞いて、映画ファンとして、すぐにピンとくるのは「12人の怒れる男」です。
こちらは、12人の市民陪審員が、密閉された部屋の中で、ある殺人事件を審議するディスカッション劇です。
1956年に作られた映画ですが、この作品を監督したのがシドニー・ルメット。
つまり、本作の監督でもあるわけです。
ルメット監督が、「十二」繋がりの本作に、自分の長編映画デビュー作を意識したかどうかはわかりませんが、一つだけ印象的な共通点がありました。
それは、ナイフです。
映画の小道具として、両作品とも、とても印象的な使われ方をしていたので、是非映画の方をチェックしてみてください。
映画の冒頭、主要キャストが続々とイスタンブールの駅に集まってくるシーンは、なかなかワクワクさせられます。
短いカットで、登場人物のキャラが巧みに説明されているんですね。
ミステリー・ファンとしては、そのさりげないシーンに、事件の犯人の手掛かりになる伏線が仕込んであるはずと踏んで、目を凝らすわけです。
もう完全に、監督の術中にハマっていますね。
乗客たちの数多くのドラマを乗せたオリエント急行の出発の時間が迫ります。
いったん引いたカメラが、ゆっくりと列車の正面に寄っていきます。
ヒッチコック映画を多く見ているものとしては、「ん?このカメラの寄りには何か意味があるぞ」と身構えるわけです。
ずっと寄るカメラは、最終的には、列車前面の3つのライトの一つまでクローズ・アップ。
するとその瞬間、そのライトがピカッと光って、リチャード・ロドニー・ベネットによる重厚なワルツがかぶさります。
そして、蒸気を噴き上げて、乗客たちの運命を乗せたオリエント急行は、ロンドンへ向けて出発するわけです。
決して小説では出せない、まさに映画ならではの舌を巻く語り口に痛く感動した馬場康夫氏は、自身のYouTubeチャンネルの中で、彼の監督デビュー作となる「私をスキーへ連れて行って」の冒頭のシーンで、このシーンをそのまま拝借したと語っていました。
これも、是非映画で確認してみてください。思わずニンマリです。
この原作小説の予備知識として抑えておいた方がいいと思われるのが、1932年にアメリカ合衆国で起こったリンドバーグ愛児誘拐事件でしょう。
被害にあったのは、大西洋単独無着陸飛行で有名なアメリカのヒーロー、チャールズ・リンドバーグの長男でした。
ジュニアは、自宅から誘拐され、現場には身代金5万ドルを要求する手紙が残されていました。
10週間にわたる探索と身代金交渉の末、自宅から約5マイル離れた森の中で、ジュニアは白骨化した遺体として発見されています。
後に、身代金として渡された紙幣を使ったことから犯人が逮捕され、死刑になっていますが、この事件にはいまだ不可解な点も多く、冤罪の可能性もあると指摘されている事件です。
アガサ・クリスティは、この事件の主犯が、身代金を持ったまま、海外へ逃亡していたらというアイデアを思いつき、この長編小説のストーリーを練り上げて行きました。
この小説が発表されたのは、1934年ですから、リンドバーグ事件から2年後のことです。
オリエント急行で殺された実業家は、この犯人がモデルになっています。
映画で、この役を演じたのが、リチャード・ウィドマーク。
これも、キャラクターの説明などいりません。
彼が登場しただけで、もうすぐにす誰もが「憎むべき悪人」と思ってしまうわけですから、これもキャスティングの威力です。
この事件は、原作小説の中では、法で裁けない稀代の悪党に天誅が下った「認められる殺人」として描かれています。
いかに被害者が極悪人であろうとも、司法権を持たない一般人による「処刑」は認められるのかという問題は噴出してきそうです。
「真実」が優先されるべきか、それとも「正義」が優先されるべきか。
倫理観に対するバイアスは、評価の多様性も含めて、現代の方が厳しくなっている気はします。
そこで気になったのが、2017年度版のリメイクですね。
こちららは、シェークスピア俳優として有名なケネス・ブラナーが監督しています。
本作にも負けず劣らずのオールスターを揃えた映画ですが、Amazon プライムにありましたので、このブログを書くために、ラストだけちょこっと覗き見してみました。
案の定、「正義のための殺人」を巡る倫理観の解釈は、1974年度版や原作小説がサラリとしているのに対して、2017年度版は、かなり重厚なものになっていました。
ケネス・ブラナー自身が演じるエルキュール・ポワロは、全員の前にピストルを置き、こういっていました。
「私はウソはつけない。(計画を成立させたいなら)この拳銃で私を撃て。」
これを、天下のシェークスピア俳優がやるのですから、そのシーンはなかなか感動的です。
「正義のための殺人」が「やむを得ないこともある」と納得する人も多いでしょう。
しかし、その苦悩を正面から演じてしまったことで、2017年度版のポアロは、原作イメージの「偏屈な小男」から、完全にハムレットになっていました。
それに対して、1974年度版は違います。
事件を解決して、アルバート・フィニーが演じるポアロがその場を去った後、バネッサ・レッドグレーブが、喜びの声を上げて、フィアンセであるショーン・コネリーに抱きつくんですね。
同じシーンでも、だいぶ与える印象が違います。
映画は、概ね時代の空気というものを背景にして評価されるエンタメです。
2017年度版と、1974年度版には、43年もの歳月が流れています。
映画の解釈にそれなりの差があるのは、当然のこと。
いやむしろ、リメイクをするなら、単なる「焼き直し」をするべきではない。
新たな角度の視点、新たな解釈を加えなければ、意味がないとさえ思います。
ですから、ここから先は全くの個人的見解です。
シドニー・ルメットが監督した本作も、あの「12人の怒れる男」を作った監督ですから、アガサ・クリスティの原作を、もっと重厚に演出しようと思えば出来たはずです。
しかも、それができる俳優をズラリと揃えているわけです。
しかし、ルメット監督は、あえてその選択をしませんでした。
あくまでも、娯楽ミステリーに徹し、時にコメディ・タッチにしながら、多少の倫理問題には目をつぶって、本作を「正義は勝つ」の王道ハッピー・エンドにしています。
そして、事件を解決したエルキュール・ポワロは、事件の真相について悩むことはあっても、決して苦悩はしませんでした。
どちらが良いと言う話をしたいのではありません。解釈はどちらでも間違いではないと思っています。
要するに、それを見た感覚が、一人一人がどういう感想を持ったかにつきます。
結論から言いますと、2017年度版は、ラストしか見ていなくて申し訳ないのですが、僕の好みはやはり、1974年度版の本作です。
ご贔屓女優のジャクリーン・ビセットが出演しているということも大いにありますが、シドニー・ルメット監督の、エンタメに徹した軽いタッチの方が、この映画の空気として個人的にはしっくりきました。
乱暴な物言いを承知でいますが、倫理観に多少問題はあっても、映画としての面白さがそれに勝っているからです。
映画と言う娯楽の中で、倫理観の方を優先にしたら、インディアンを敵とみなしている大方の西部劇は全てアウトです。
2017年度版の重厚なタッチと比較して、シドニールメット監督の本作におけるライトなタッチを、実に上手に体現していた女優がいました。
バネッサ・レッドグレーブです。
彼女は、この殺人事件の前段でもある愛児誘拐殺人事件において、心に大きく傷を負った一人でしたが、にもかかわらずこの映画の中の彼女がなんとも爽やかでした。
それを、感じさせたのが、彼女のウインクです。
映画の中では、都合2回、彼女のウインクが登場するのですが、それが両方とも実にチャーミングで素敵でした。
これも、映画を見る機会があれば是非確認して見て下さい。
ちなみに、この「オリエント急行殺人事件」は、2015年に、フジテレビの正月ドラマとして二夜に分けて放送されています。
この脚本を担当したのは三谷幸喜氏。
このドラマについて、YouTube番組の中で、三谷氏はこう語っていました。
「これだけ歴史的評価のある原作を、むやみに脚色で変えることはできない。なので、前半の事件部分は、原作にほぼ忠実に脚色し、原作にはない事件の前日譚は、ニ夜目でおもいきりオリジナルで展開させてもらった。」
おそらく、1974年版推しの三谷氏の脚本も、前半は、シドニー・ルメット版に近いものになっていると思われますが、これもアガサ・クリスティー・ファンとしては、機会があれば是非見てみたいと思います。
改めて、イラストのシーンに戻りますが、俳優へのギャラだけに絞ってこのシーン撮影のためのコストを考えてみると、やはりすごそうです。
プロデューサー兼俳優の現在のトム・クルーズくらいになると、たった一人でも、この映画の出演者全員を足したよりも高いギャラを獲得していそうな気もしますが、ただ俳優の豪華さにおいては、ビジュアルだけでいっても屈指のシーンだと思います。
切り取ったカットのイングリッド・バーグマンだけが、顔を伏せてしまっているのが、iPadイラストレーターとしては残念。