2021年3月11日には、東日本大震災からちょうど10年ということもあって、新聞各紙の一面トップは、見事にこの記事で統一されていました。
テレビやラジオなどのメディアも、この話題に触れないところは、ほぼなかったのではないでしょうか。
僕は、もっぱらネットでの関連動画の音声を聴きながら、畑作業しておりましたが、これをブログに載せるのは、あえて2日遅らせることにしました。
総務省接待問題、オリンピック問題などなど、ニュースになる話題はいくらでもあるので、2日も経って、お約束の儀式を終えれば、また来年のこの日が来るまでは、この記憶は忘却の彼方。
10年たった今となっては、終戦記念日、広島・長崎の日同様、東日本大震災も、定番のカレンダー・ニュースになりつつあります。
あの震災の起きた当時は、日本に住んでいる誰もが、それなりの危機感を共有したはずでした。
そして、その記憶も、残念ながら、時が経つにつれて次第に風化していくわけです。
しかし、よくよく考えてみれば、東日本大震災が、日本という国に突きつけた課題は、実は何一つ解決していません。
東日本大震災は、例えこの日ではなくても、日本人であれば誰もがもいつでも頭の片隅には、置いておかなければいけない出来事ではないか。
そんな思いを込めて、一斉に関連記事が出揃う、震災当日は避けて、たった2日ではありますが、「普通の日」にあえて日付をズラしてみたという次第。
震災の爪痕は、何年かかけて、この眼で確かめてきました。
その光景は、もちろん今でもはっきりと脳裏に焼き付いています。
定年退職後は、百姓になって田舎で暮らすという人生設計が出来上がっていったのも、この震災の光景を見たことの影響は少なくないと思っています。
あの規模の震災が首都直下型で起こる確率は、向こう30年以内で、70%だと言われています。
個人的には、84歳までは生きていようと思っていますで、生きているうちに、この大震災の被害を被る確率は、非常に高いという結論です。
長生きしようと思うなら、これは、覚悟しておかなければならない。
これをベースにして、余生の人生設計をやり直した結果が、今の百姓家業ということになります。
数年でこの技術をしっかりと獲得した上で、関東から離れたどこかの田舎で、食べるものだけならなんとか自分で賄える生活をしたいと思っています。
「忘却とは忘れ去ることなり」というのは、1950年代に流行したラジオ・ドラマ「君の名は」の冒頭ナレーション(最近のアニメではなく)です。
忘却とはつまり、極度に辛い体験や記憶の呪縛から人を解き放とうという、いわば人間だけにある自己防衛能力です。
都合の悪いことは「忘れる」なんていうことは、コンピューターには逆立ちしても出来ません。
これは生きていく上で必要な、人間だけに出来る高等技術です。
しかし、これを重々承知の上、確信犯的老獪さで、政治運営に悪用してくるのが、これまでの政権政党の常套手段だということは、この年齢になりますと、さすがに学習させてもらいました。
「国民は移り気で、忘れっぽい。みんな喉元過ぎれば熱さは忘れてくれる。」
歴代の政権は皆多かれ少なかれ、これを利用してきました。
しかし、東日本大震災以降の安倍政権、現在の菅政権におけるこの「忘却依存度」の確信犯的利用頻度の高さは半端ではありません。
「懲りないあっちが悪いのか、すぐに忘れるこっちが悪いのか。」
彼らは、言ってみれば、我々が悲劇的に「忘れっぽい」ということに支えられて、延命してきた政権だと言えるかもしれません。
モリカケ問題、公文書偽造問題、桜を見る会問題、学術会議問題、総務省接待問題などなど。
どれひとつとっても、きちんと詰めれば、政権をひっくり返すのに充分な問題であるにもかかわらず、敵が次から次へと間断なくやらかしてくれるので、「移り気」な人々の関心は、どんどんと新しい話題に流され、どれだけ重要な問題でも、気がつけばすべての過去の問題はいつか忘却の中。
つい2〜3年前の問題でさえ、もう遠い昔のことような気にさせられて、結局何一つ問題は解明されていないまま、気がつけば問題はとっくに終わってしまっているような錯覚に陥っています。
ましてや、10年前のことなら、何をかいわんやです。
東日本大震災のことは忘れてはいけないといくら言われても、人々はこの直近の新型コロナという災害とも対峙しなければならず、なかなかそうはいきません。
こうも問題続出の世の中では、論点が常にしぼれないままで有耶無耶になるということは、体制側には偉く都合が良いことなのかもしれません。
大震災ということであれば、責任の所在を誰かに求めるのは無理かもしれませんが、続く、福島第一原発の事故は明らかに人災で、これには明確に責任を取るべき人たちが必ずいるはずです。
そんな彼らにとって一番都合がいいのは、あの大震災と大事故の記憶が、我々の記憶からなくなってくれること。
もちろん、彼らは、対策も補償も最低限で行い、適当にお茶を濁しながら、ことをやり過ごそうとしますが、黙って指を咥えているような神妙な連中ではありません。
少しでも早く、その記憶が風化するように、積極的に、巧妙に、どんどんと仕掛けてきます。
その手段は二つ。天下の宝刀は「嘘」と「隠蔽」です。
我々を変に刺激しないように、都合の悪い真実は、すべて手を加えるか、あるいは公表しないという奥の手を使い続けます。
そして、ほとんどすべてのマスコミ(週刊文春は除く)は、このためのツールと化しているというのが嘆かわしい事実。
例えば、オリンピック招致の際に、安倍晋三全総理大臣が、全世界に向けて発信した、福島原発のアンダー・コントロール発言も、「復興五輪」発言も、今となっては、なんの根拠もない大嘘であったことは誰もが知っています。
オリンピックを意識して発信される、「福島は確実に復興している」という政府の恣意的なプロガンダも、都合のいい現実だけを切り取ったもので、被災者の現実を反映しているものとは到底思えないということを伝えるジャーナリストが多くいます。
東京新聞の榊原崇仁記者の書いた「福島が沈黙する日」には、子供たちの甲状腺癌のデータを公表しようとしない福島県の隠蔽体質が報告されています。
また、元東電の技術者だった木村敏雄氏の書いた「原発亡国論」には、福島原発の壊滅的打撃は、大津波ではなく、震災の段階ですでに致命的な形で現れていたということが報告されています。
大津波は想定外の災害だったということで多くの責任から逃げていた東京電力ですが、震災の段階で壊滅的ダメージがあったということになれば、全国の原発が、安全規定を満たしていないということになり稼働停止。
こうなることは避けたいので、東京電力はこれを徹底的に、隠蔽したわけです。
この本には、こういう指摘もあります。
原発事故の10年前、非常用のディーゼル発電機が腐食した配管からの冷却用海水の漏出により水没した事故があり、発電機が機能不能になったことを受けて行われた「津波による事故の解析をすべき」という会社への進言は、「津波は想定しない」という理由のもとにサッサと却下されたとのこと。
東電で言えば思い出すのは、新潟県の柏崎刈羽原発で、中央制御室に他人のIDカードで不正に出入りした事実を隠蔽していた事実が明らかになったのは記憶に新しいところ。
とにかく、国も県も会社も、東日本大震災で責任を追うべき当事者は、すべてなんの反省もなく、最低限の「やってる感」だけを小出しにしていきながら、嘘と隠蔽という必殺技を駆使して、国民の意識から、この記憶が薄れていくのを、巧妙に遠隔リモートコントロールしているという現実だけは、「記憶」ではなく、もはや「一般常識」として知っておく必要がありそうです。
そして、一般常識ということならもう一つ。
新聞報道も、テレビ報道も、その利権の構造上、今や首根っこをしっかり政府に握られており、何があっても腰の引けた忖度報道しか出来ないという事実を知ること。
真実に近づきたければ、玉石金剛のネット情報の中に、それなりの意思を持って、アクセスしなければいけないようです。
東日本大震災への思いは、その濃度も含め、人それぞれだと思います。
ただ被災地には、あれから10年経った今でも、未だ見つからない家族を探すために、海岸線を歩く遺族の姿があるということです。
2011年3月11日午後2時46分。
今でもその瞬間自分がどこで何をしていたのかは、はっきりと記憶していますが、そこで時間が止まったままの人も、被災地には、いまだに多くいらっしゃいます。