20世紀の傑作洋画ランキング企画があると、たいていベスト3には入っていたのが本作でした。
僕がこの映画を始めて意識したのは高校生の頃。
ですから、1970年代の中頃ですが、あの頃足しげく通っていたのが神保町の古本屋街でした。
都営三田線の神保町駅を出るとすぐに、岩波ホールがあったのですが、ここでこの映画を上映していました。
もちろん当時の最新映画でないことは承知していました。
その頃は、いっぱしの映画マニア気取りでしたので、この映画がどういう作品なのかという知識だけはありました。
ざっと言ってしまえば、ドイツ、イタリア、日本で上映禁止になっていた反戦映画。
その幻の傑作が、ジャン・ルノアール監督の手によるによる完全版として復活上映されたという程度ではありますが。
この映画が作られたのは、第二次世界大戦前の1937年です。
イタリアのムッソリーニやドイツのヒットラーなどのファシスト政権の台頭で、ヨーロッパ全体がきな臭くなっていた時代です。
特にヒットラーは、第一次世界大戦の敗戦と、世界恐慌による不況で、不満をため込んでいたドイツ国民の心を巧みに救い上げて、ベルサイユ条約を一方的に無視して、軍備拡張と領土拡大にイケイケになっていました。
ファシスト政権としては、ドイツの先輩にあたるイタリアもまた然り。
そんな両国と同盟を結んでいたのが当時の日本です。
つまり、戦争による武力行使の機会を虎視眈々と狙っていたこの三国で、反戦メッセージをたからかに歌いあげた映画が上映を許されるはずがないわけです。
当時のナチスドイツの宣伝相ゲッぺルスは映画産業を統制し、検閲を強化。1934年に制定された国家映画法で、事前検閲を導入し、映画の内容を厳しく管理しました。
当然本作は、真っ先にそのやり玉に挙がったわけです。
日本でも、映画そのものは1938年に入ってきていましたが、内務省警保局警務課が映画の検閲を行い、この映画は、戦後の1949年になるまでお蔵入りされていました。
国家一丸となって、戦争に向かおうというこの時局において、戦意を喪失させるような反戦映画などけしからんというわけです。
国家が自由であるべき文化芸術を規制するなんてことは、第二次世界大戦以降はないだろうと思っていましたが、実は似たようなことがアメリカでありました。
2001年9月11日に起きた同時多発テロの時です。
あの衝撃の後、その報復としてのアフガニスタンへの軍事攻撃が始まるまでの間、全米のラジオ局は、ジョン・レノンの「イマジン」や、ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」などの曲を流すことを一斉に自粛しています。まるで、国民感情を戦争へと誘導するかのように。
本作は、捕虜収容所を舞台にした作品ですが、第二次世界大戦前に作られた映画ですから、扱っているのは、当然第一次世界大戦です。
捕虜収容所を舞台にした戦争映画の傑作は割と多いと思います。
思い出すだけでも、極めつけの「大脱走」を筆頭に、「第十七捕虜収容所」「戦場にかける橋」などなど。
ほとんどは、第二次世界大戦を背景にしたものなので、捕虜を捕らえる側のドイツ軍や日本軍が血も涙もない悪者に描かれていますが、この映画はその辺りが少々テイストが違っていました。
第一次世界大戦の頃は、まだ各国の兵士たちの間に騎士道精神が残っているんですね。
この映画では、ボエルデュー大尉(ピエール・フレネー)や、ラウフェンシュタイン大尉(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)など、共通の文化的、教育的背景を持つ貴族同士の強い絆を強調しています。
この貴族の伝統が共有されていることにより、戦争では敵同士であったにもかかわら仲間意識と相互尊重の意識が生まれているように描かれます。彼らは下層階級の仲間とのプライバシーを守るため、正式なフランス語とドイツ語、時には英語で会話して、お互いのシンパシーを共有します。
歴史上にも、この時代に活躍したドイツ空軍のエース・マンフレート・フォン・リヒトホーフェンがいます。
彼は貴族階級出身で、レッドバロンと呼ばれ、ドイツ軍のみならず、連合国側の兵士からもリスペクトされていましたね。
ボエルデュー大尉は、マレシャル中尉(ジャン・ギャバン)とユダヤ人のローゼンタール中尉(マルセル・ダリオ)の脱走を成功させるために、ドイツ兵を引き付けて単身逃走。ラウフェンシュタイン大尉によって銃で撃たれてしまいます。
しかしそれを悟ったラウフェンシュタインは、ボエルデュー大尉の行為に対してリスペクトの意を表し、騎士道精神にのっとって丁重に介護。
こういった描写は、第二次世界大戦を扱った映画では、あまり見たことがありません。
また、捕虜収容所のシーン全体でいえることですが、ドイツ兵士たちの、捕虜たちに対する態度はいたって紳士的なんですね。収容所では時折笑顔さえこぼれています。
そこには、第二次世界大戦におけるナチス兵士たちのような非人道的な冷酷さはありません。
第二次世界大戦を舞台にした戦争映画を見慣れてしまうと、これはなかなか新鮮でした。
スイスの国境に向かって逃げるマレシャルとローゼンタールは、途中未亡人母娘の家に逃げ込みます。
彼女は当然ドイツ人ですが、フランス人脱走兵である二人をかくまいます。
そして、その滞在期間に、言葉が通じないながらも、マレシャルと夫人の間に芽生えるつかの間の愛情。
国と国の争いは、個人の恋愛感情を束縛するものではないというメッセージも胸にしみます。
後のヒットラーによる、個人の尊厳を無視した冷徹な人種政策を知ればなおさらです。
本作は、戦争の無益さと貴族階級の衰退を批判する強力な反戦メッセージを込めた映画です。
この作品は、その平和主義的なテーマのため、戦争の時代にはなかなか正当な評価を得られませんでした。
しかし、戦後になってからは、まるでそれを謝罪するかのように、批評家たちの称賛を受けるようになり、 史上最高の映画の一つとして、第11回アカデミー賞で作品賞にもノミネートされ、バチカンの偉大な映画リストを含む、さまざまな映画ランキングの常連としてその名を連ねるようになったわけです。
本作の価値は、なんといっても、その時代性にあるでしょう。
チャップリンの「独裁者」同様、戦争の嵐が巻き起ころうとしているまさにその時代に、正面から反戦メッセージを込めた映画を作ったクリエイターとしての矜持がこの映画にオーラを与えています。
戦後になって、平和や反戦のメッセージが常識になってから作られた数多の戦争映画とは、その点でやはり一線を画すと思いたいところです。
第一次世界大戦を描いた映画となると、僕の知る限り、「西部戦線異状なし」「ジョニーは戦場へ行った」、最近では、「1917 命をかけた伝令」などが思い浮かびます。
どれも傑作で心に残っていますが、今回はじめて本作を鑑賞して、この映画が昭和の歴代映画ランキングの常連であり続けただけのことはある傑作だと遅まきながら認識した次第。
本作は、ジャン・ギャバンのキャリアの中でも、「望郷」や「霧の波止場」と並んで外せない一本でしょうが、個人的には彼の笑顔は、なぜかよかったなあ。とても自然でした。
そうそう、ちなみに本作の中に、収容所から脱出を企てるのに、捕虜たちが地下トンネルを掘るシーンがあるんですね。
さて、捕虜たちはその掘り出した土をどう処分したか。
実はこれが、あの「大脱走」にあったあのシーンと、そっくり同じで思わずニンマリしてしまいました。
本作は、Amazonプライムで鑑賞できますので、そのあたり、是非お見逃しなきよう。