脚本家の三谷幸喜氏が、ホイチョイプロの馬場康夫氏のYouTube動画に出演してこのようなことを言っていました。
「ミステリー小説の長編を忠実に再現した脚本を書こうとすると3時間の枠が必要。」
さて本作は、東野圭吾氏の長編推理小説を映画化したもので、上映時間は2時間9分。
つまり、映画化に関しては、長編小説のプロットのおよそ1時間分をカットしたということになります。
何をカットして、どう映画として再構築かしたのかは、脚本を担当した福田靖氏の技量に追うところが大きいのですが、福田氏のインタビュー動画によれば、東野圭吾氏は、映画化作品は原作小説とは別物と考えているようで、映像化にする際には、物理学的検証部分だけは忠実に再現してもらえれば、後はどこをどういじってもらっても構わないと言われていたそうです。
ガリレオ・シリーズ映画化は、本作が2度目。
前作の「容疑者Xの献身」が、テレビのガリレオ・シリーズのシーズン1が終了後のタイミングで公開されて好評を博し、犯人役を演じた堤真一は日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を獲得しています。
本作も、それを踏まえて第2シーズンが終了直後の公開。
ガリレオ・シリーズのドラマ版は、スピンオフ企画以外はすべて見てきましたので、その勢いで本作も鑑賞いたしました。
本作は、科学と人間ドラマが織りなす感動作、東野圭吾の人気小説「ガリレオ」シリーズ劇場版です。
天才物理学者・湯川学(福山雅治)が、美しい海辺の町で起こる事件の真相に迫る物語です。
本作の魅力は、科学ミステリーとしての面白さはもちろんのことですが、湯川と少年・恭平(山崎光)の心温まる交流を軸に展開する重厚な人間ドラマにあります。
待て待て。湯川教授は、理屈の通用しない子供に接すると蕁麻疹が出るのでは?
しかし、そのはずの自分の手にいつもの痒みがありません。どうやら、恭平少年と湯川の間には、なにかしらの物理的な化学反応があるようで。
ところが、湯川の宿泊していた民宿で事件が発生してしまいます。
事件は、湯川と同じ民宿の宿泊客が、海岸の堤防から落ちて転落死するというもの。
死んだのは退職した元刑事です。しかも、死因はなんと一酸化炭素中毒。
刑事は事故死か、それとも殺されたのか。
そして、民宿を営む老夫婦(前田吟、風吹ジュン)と、一人娘(杏)には、なにやら秘密が・・
恭平は、この一家の甥っ子で、夏休みの間この一家に預けられています。
ひょんなことから恭平と夏を過ごすことになる湯川教授。ドラマ・シリーズの中では見ることのなかったガリレオの新しい一面が、この映画版では紹介されていくことになります。
恭平の純粋な好奇心に触発され、科学の面白さを教える湯川の姿は、ドラマ・シリーズでは見せることのなかった優しさに溢れています。
物語の舞台となる玻璃ヶ浦の美しい風景描写も印象的です。
撮影地は、静岡県賀茂郡西伊豆町の浮島(ふとう)地区。
さらに、映画冒頭や終盤で登場する「玻璃ヶ浦駅」として使われた駅は、ぐっと西へ移動して、愛媛県松山市の伊予鉄道高浜線・高浜駅が使用されています。
湯川と恭平がペットボトルロケットを飛ばす本作の象徴的なシーンは、仁和港北沖防波堤灯台周辺で撮影されています。
どこか昭和の香りが残るノスタルジックな雰囲気が画面の隅々からあふれ出ており、昭和生まれにはたまりません。事件の陰惨さとのコントラストが絶妙。
特に、浮島地区の海底は、映画に深みとリアリティを与えています。
映画の冒頭では、「科学技術と環境保護」という現代的なテーマが盛り込まれており、科学者・湯川が環境保護活動家と対立しながら、事件に巻き込まれていくという展開です。
「自分たちも科学技術の恩恵を受けているのにやみくもに反対するのはおろかだ。清濁併せてすべてを知ったうえで、何を選ぶか選択すべきだ。」
事件の謎解きとともに描かれるのは、家族の秘密や過去の因縁、そして罪と贖罪といった普遍的なテーマです。
旅館を営む川畑家が抱える複雑な事情や、16年前の未解決事件が絡み合い、物語は予想外の方向へと進んでいきます。
特に、杏演じる川畑成実の抱える苦悩や、彼女の決断は観る者の胸に深く突き刺さります。
しかし、一方で、テレビドラマでこのシリーズを見たファンには、ミステリーとしてのトリックやサスペンス性が足りないと、やや物足りなさを感じるかもしれません。
映画版には、湯川がひらめいた時のあの数式書きなぐりパフォーマンスは、出てきませんし、「実に面白い」の決まり文句も控えめ。(というよりも、あったっけ?)
そして、前作「容疑者Xの献身」のような衝撃的な展開や複雑な謎解きを期待すると、やや肩透かし。
本作は、それよりも人間ドラマに焦点が当てられているのは明白です。
ですから、その分、登場人物たちの感情の機微や葛藤が丁寧に描かれており、事件の真相が明らかになった時の切なさややるせなさは、観終わった後も長く心に残ります。
「愛は時に残酷」という重いテーマが、物語全体を覆っていると言えるでしょう。
本作のガリレオ担当刑事は、吉高由里子演じる岸谷美砂。
ドラマでのエッジの効いたやりとりも、映画ではやや控えめ。
しかし、シリアスな展開の本作において、彼女の登場は唯一のコメディ・リリーフとして機能していました。
原作小説と映画版の主な違いは、明らかに湯川と恭平の関係性の強化です。
この二人のエモーショナルな関係が、映画の軸になっており、それがクライマックスに来るように、プロットは再構築されています。
そのために、 一部のキャラクターの役割や背景が、映画版独自に再アレンジ。
原作にはないオリジナルのクライマックスが描かれ、より感動的な結末となっています。これらの違いにより、映画版「真夏の方程式」は、原作小説やテレビシリーズとは一味違った、映像作品に仕上がっていました。
ちなみに、僕も映画の中の恭平少年と同じで、理科は大の苦手科目でした。
ペットボトルが清涼飲料水の容器として認められたのは1982年の食品衛生法改正以降ですから、我が子供時代にペットボトル・ロケットを試した記憶はありません。
小学校の頃に、学内販売していた「科学」という小学生向きの理科系雑誌の付録に、似たような実験道具がついていたような記憶もあるのですが、定かではありません。
ペットボトルを水と空気の力で飛ばす方法は、「水ロケット」の原理を利用した実験です。
ペットボトルに水を1/3~1/2程度入れます。水が推進剤の役割を果たします。
コルクやゴム栓にバルブ(空気を注入する弁)を固定し、ペットボトルの口にしっかりと差し込みます。
バルブが外れないよう、テープで補強。
発射台にセットします。
ペットボトルを逆さまにし、発射台に固定。ペットボトルの口が下向きになるようにします。
ポンプでバルブを通じて空気を注入し、内部を加圧(目安は3~6気圧)。
十分に加圧したら、バルブを解放するか、コルクを外すことで内部の圧力が一気に解放。
水が勢いよく噴出し、その反作用でペットボトルが上空に飛び上がります。
水が多すぎると重く、少なすぎると反作用が弱くなります。最適な量を実験で探ります。
作用反作用という物理の初歩中の初歩の法則だけで飛ばすロケットなので、どれだけと飛ばそうと玻璃ヶ浦の海は汚れません。
そして、何度かのチャレンジで、ペットボトル・ロケットの飛距離が200mを越えます。
その瞬間、中に仕掛けた携帯電話のカメラが作動して、海底の映像が少年の携帯に届きます。
思わず声を上げる恭平。
この実験は、ドラマ映画を通じて、湯川教授が行った実験の中で、最も美しい実験だったかもしれません。