小津安二郎監督作品には、まだ見ていないものが何本かあります。
なにせサイレント時代から、映画を作っている方ですから、初期の作品の中には、もうフィルムが残っていないものもあるでしょう。
WOWOWなどで録画してあったものはあらかた鑑賞し終わっていますが、そうではない未見の作品は、有料コンテンツではありますが、幸いAmazonプライムでも鑑賞できます。
特に、カラーになって以降の作品はすべて未見ですので、日本人としての一般教養として、ぼちぼちと鑑賞していくつもりです。
さて、本作も未見の一本でした。Amazonプライムの有料コンテンツで400円でした。
名画座巡りをしていた大学生の頃なら、地方の場末の映画館に行けば、これくらいの学生料金で、小津安二郎の3本立てが見れたかもしれません。
1957年製作の「東京暮色」は、小津安二郎最後のモノクロ作品です。
1957年は昭和32年。
僕の生まれる2年前の作品ですが、この頃の東京の街並みや、家の中の様子は脳裏にもかすかに刻まれていて、かろうじてリアルタイムをギリギリ味わえる年代です。
小津作品は一般的に家族の絆や日常の温かさを描くものが多いですが、本作『東京暮色』は例外的に非常に暗い内容でビックリ。不倫、堕胎、自殺など、ショッキングな出来事が、淡々とした小津調で描かれ、全体的に陰鬱な雰囲気が漂っています。
小津映画の過去作品では親子愛や結婚を中心とした家族の再生がテーマになることが多いわけですが、本作ではこれまでの小津作品の核となる部分をあえて意識的に排除しています。
親子間で本音が語られず、互いに向き合うことを避ける姿が描かれ、父親と娘たちの間には、常に大きな溝があり、それが物語の悲劇性を強調しています。
映像面でもこれまでの小津作品には見られない顕著な特徴が一つ。
従来の小津作品では明るい日中や家庭内の穏やかな光景が多いのですが、本作ではあえて意識的に夜景や影を多用した映像表現が目立ちます。これにより、物語の暗さと登場人物たちの孤独感が視覚的にも強調。
小津映画では春や夏など明るい季節感が多用される作品が多いのですが、本作では都会の冬を舞台にしており、寒々しい描写が全体のトーンを覆っています。
『東京暮色』は、小津安二郎監督が従来描いてきたテーマからさらに一歩踏み出し、人間関係や社会問題の暗部に焦点を当てた、ある意味では挑戦的な作品と言えます。そのため、小津作品としてはかなり異質な独自性を持つという意味で重要な作品といえそうです。
物語は、銀行の監査役を務める杉山周吉(笠智衆)と彼の二人の娘を中心に展開します。
周吉は20年前に妻に逃げられ、男手ひとつで娘たちを育ててきました。
長女の孝子(原節子)は不幸な結婚生活に悩み、次女の明子(有馬稲子)は恋人との関係や妊娠という問題を抱えています。
本作では、親子愛や家族制度の断層がテーマになっていることは明らか。登場人物たちが抱える孤独や葛藤がリアルに描かれています。
特に印象的な使われ方をしていたのが音楽です。
映画内では、暗く重いシーンであるにもかかわらず、かすかな音量で流れるのは、どこかノー天気に明るい音楽や沖縄民謡。
黒澤明の「酔いどれ天使」や「野良犬」で実証された、対位法による場面と音楽の対比が意識的に活用され、効果を上げていました。
しかし、本作が小津作品の中で異色作とされる最大の要因は、本作が小津作品初出演となる有馬稲子の起用でしょう。
従来の「小津的女優」が持つ無垢な娘性(原節子)や母性的包容力(杉村春子)に対し、有馬が演じる明子は「自らの欲望を言語化する近代的自我」を体現しています。
彼女の鋭い眼光と硬質な台詞廻しが、父親周吉との対立場面で火花を散らす様は、小津作品において初めて「父権への正面挑戦」を描いた革命的瞬間です。
小津が1950年代半ばに直面したのは、高度経済成長期前夜における家族の空洞化でした。
『東京物語』(1953年)で暗示された親子の断絶を、『東京暮色』では「離婚」「未婚の母」「自殺未遂」という過激なモチーフで露わにしたのは、都市化が加速する東京を「無縁社会」の予兆として捉える社会学的視線が働いています。従来の含蓄的な「哀愁」から、より暴力的な「悲劇」へと移行したのは、敗戦後の価値観崩壊が個人の生に及ぼす亀裂を、ドラマツルギーを通じて解剖する必要性があると小津自身が感じたからでしょう。
有馬稲子が演じた明子というキャラクターが、物語全体をけん引しているのは明らか。
彼女が、20代の女性の不安定さや迷いを見事に表現したことで、彼女が直面する問題が映画全体の緊張感を支える要素となり、他の登場人物や観客にもその影響が波及しました。
有馬稲子の演技は、戦後日本における若者文化や家族制度の変化といった社会的テーマを強調する役割も果たしました。彼女が演じる明子は「迷える若者」の象徴とも言え、その不安定さや脆さが世代間ギャップや社会的批判といったテーマを浮き彫りにしています。これまでの小津作品にはいなかったヒロインの登場です。
この明子の役には最初、「早春」でヒロインを演じた岸恵子がキャスティングされていたようです。
しかし、スケジュールが合わず、この役は有馬稲子にオファーされたとのこと。
岸恵子の明子も見てみたかった気はしますが、この映画を見終わった今では、これは有馬稲子が最適解であったと確信する次第。
雀荘で物憂げにたばこを燻らすという、小津映画史上もっとも小津映画的ヒロインらしくないヒロインを、彼女は実に絶妙に演じていました。
本作の中で、有馬稲子と原節子の二人のヒロインは、終始暗く鬱屈とした表情を浮かべっぱなし。
有馬稲子にいたっては、本作の中でただの一度も笑いません。
しかし、そんな本作に対して、従来の小津作品ファンたちは少々戸惑います。
ん? この作品はいつもの小津映画とは違うぞ。
実は、本作で初めて小津作品の主要キャストに配役された女優がもう一人います。
それは山田五十鈴ですね。
彼女は1930年代から活躍しているベテラン女優として圧倒的な存在感を持っています。
代表作は「祇園の姉妹」「流れる」「蜘蛛巣城」などなど。
彼女は孝子と明子が子供の頃、父親が単身赴任している間に、夫の部下だった男と駆け落ちをしてしまう喜久子という複雑なキャラクターを深みある演技で表現しました。
ちょっと脳裏をよぎったのはジェームズ・ディーンの出世作「エデンの東」。
あの映画でも、母親は息子たちが子供の頃、父親の元を去っていました。
山田五十鈴の演技は、家族を捨てた母親という道徳的に批判される役柄にもかかわらず、観客に同情や人間的な弱さへの理解を促す力を持っていました。
映画のラストは、新しい亭主(中村伸郎)と一緒に北海道へ向かう列車の出発する上野駅のホーム。
見送りに来るはずはない娘をひたすら待つ切なさを、ノーメイクで演じていました。
小津が原節子に求めたのは、決められたポジションで微細な表情を変化させる「能楽的な演技」でした。
しかし有馬稲子には、カメラを正面から睨みつけるような挑発的視線が何度も要求されます。
この「正面性の暴力的使用」は、従来の「間接的コミュニケーション」を支えてきた小津的演出を、戦後の直接的な人間関係へと更新する意図が働いています。
暴力といえば、「風の中の雄鶏」で、復員した夫が、妻の不貞に怒って殴りつけるシーンがありました。
温厚で平和的な、小津作品の中では極めてまれな描写だったのでよく覚えていますが、本作品にも、明子が頼りなく無責任な恋人に平手打ちをするシーンがあって驚きました。
この直後、明子は電車に飛び込んで自殺を図ります。
しかし彼女は、病院に駆け付けた父と姉の前で「死にたくない」といいながら、結局死んでいきます。
喪服の孝子は、母親にこう言い放ちます。「明子を殺したのはあなたよ」
これも、従来の小津作品では考えられないほどの過激さです。
小津作品の代表的ヒロインである原節子でさえも、本作においては最大限アンチヒロインを演じることになります。
小津が、本作に有馬稲子と山田五十鈴を起用した真の狙いは、原節子という「美の偶像」を崩壊させることにあったと考えることは不自然ではないと思います。
ある意味では、名監督であればあるほどサディストの資質を持ち合わせているのかもしれません。
小津監督は本作において、徹底的に戦後家族の解体を描くこうとしています。
タバコを吸い、酒を飲み、男性と対等に罵り合う女性たちは、もはや「家」に収まらない存在になってくるわけです。
彼女たちの主戦場は、街のカフェであり、居酒屋であり、時には雀荘ということになります。
このキャスティングの革新性は、単に役柄の変更ではなく、小津自身が「家族という幻想」との決別を宣言する行為だったと言えるでしょう。
『東京暮色』の暗澹たる結末は、こうして生まれた新しい女性像が、旧来の家族システムと共存不可能であることを告げるという意味において、墓碑銘になったといえるかもしれません。
通常の小津作品ならば、公開された年の興行成績はほぼベストテンには入ってくるのですが、この映画の公開された1957年の興行成績において、本作の成績はなんと19位。
小津としては意欲作として自信をもって世に送り出した本作は、小津ファンからは失敗作の烙印を押されることになります。
以降、小津はカラー作品へと取り組むようになり、再び従来の家族愛をテーマにした作品を、色鮮やかな色彩で描くことで、最晩年を送ることになります。
個人的な見解を申し上げれば、自らが長い映画監督キャリアの中で築き上げてきた映画的世界観や価値観を、ほぼ確信犯的に崩壊させようとして挑んだ小津安二郎監督渾身の意欲作は、「東京物語」を含む、過去のどの作品と比べても遜色のない出来栄えの傑作だと確信する次第。
そして、その最大な功労者は、多少のリスクは呑み込んだうえで、従来の小津作品にはいないアンチヒロインを見事に体現した有馬稲子だったでしょう。
女優陣だけを持ち上げ過ぎましたが、もちろん父親・杉山周吉を演じた笠智衆も相変わらずの存在感。
原節子とは、これまでにも「東京物語」「晩春」「麦秋」と、何度となく父娘を演じてきていますが、本作における父娘関係も、それまでとは、一味も二味も違うもので感心しきりです。
パチンコ好きの監査役銀行マンというのも新鮮な設定でした。
指で一個ずつ球を入れるパチンコは、僕の記憶にもかすかにあります。
周吉が、同僚の山村総に球を渡して「指先の呼吸ひとつだからな。」なんてことをいいます。
これ、我が祖父も祖父と同じようなことをいっているたなと思わずニンマリ。
映画の冒頭、渋谷駅のホームから見える看板に「浮世風呂」と「全線座」の看板が見えていました。
「浮世風呂」の方は残念ながら利用したことはないのですが、全線座の方は学生時代に何度か足を運んだことがあります。洋画の二本立て興行専門の名画座でしたね。
それから、周吉は、渋谷駅のガード脇の「のんべえ横丁」らしき一角を歩いて、一軒の居酒屋へ。
僕は飲めないクチなのですが、この「のんべえ横丁」は、父と叔父たちの会話の中ではよく出来ていましたので、大学生になってから一度寄ってみたことがあります。
周吉の入る店の女将は浦部粂子で、熱燗をやる客の後ろ側には月桂冠のポスター。
当時の風俗でいえば、雀荘も懐かしいといえば懐かしい場所です。
僕が学生時代に通った雀荘は、すでに卓がオートマチック化されていて、真ん中の穴に牌を流し込むと、自動的に揃ってせりあがってきましたが、この頃はまだ全手動。
みんな煙草をくわえていましたね。
客の一人が、明子の置かれた状況を知っていて、当時の人気野球解説者の小西徳郎の口調をまねて「ラージポンポン」なんて冷やかします。
これは、昭和時代の隠語的流行語として、僕の記憶の中にもかすかに聞き覚えがあります。
有馬稲子は、実は一昨年亡くなった我が叔母の若い頃にそっくりでギクリとしてしまいます。
カメラが趣味だった我が父親の撮った写真が多く残っているのですが、特に化粧の仕方が影響を受けているのが一目瞭然。
おそらく叔母は、この映画を見ていることは間違いないでしょう。
叔父たちの証言によれば、我が叔母は、若かりし頃の一時期、女優の卵だったことがあったようです。
しかし、これは彼女にとっては黒歴史だったようで、叔父たちには、どこの映画会社だったか、なんという芸名だったか、なんという映画に出ていたかは完全に箝口令が敷かれていた模様。
結局その情報は、後に映画マニアになった甥っ子である僕には届いていません。
そんなわけで僕が、最新作映画には目もくれず、ひたすら昭和のこの時代のクラシック映画にこだわる理由の一つがそれです。
どこかで、若き日の叔母を発見したい。
もしかすると、もうすでにどこかで出会っていて、こちらが気づかずに通り過ぎてしまっていた可能性も十分にあります。
もしも半世紀以上も前の叔母の若き日の姿が見つけられたら一言だけ。
アリマ!