さて、研修する牧場としては、ここが3つ目。
つなぎ方牛舎、ロボット牛舎ときて、今回はフリーストールタイプのH牧場です。
今回お世話になったのは、二名の社員ヘルパー。
フリーストールの牛舎は、牛が中で自由に動き回れる構造になっています。
その点では、ロボット牛舎と一緒。
まずは、ミルキングパーラーと呼ばれる搾乳室の待機スペースに牛たちを追い込みます。
そして、牛舎内の牛糞清掃。
毎度毎度すみませんが、酪農では避けて通れない仕事なので、しっかりと紹介します。
ここでは、小型シャベルカーで、一気に牛糞を寄せていき、処理穴に流し込みます。
その後は、ベットメイク。
S牧場では、微粒の木屑を使用していましたが、H牧場では、配合剤使用。
これを、糞を落とした牛たちの寝床に撒いていきます。
並行して行われているのが、牛たちの餌やり。
つなぎ型牛舎のT牧場同様、大型トラクターで、一気に行います。
そして、のちの作業になりますが、牛たちが食い散らかした餌を寄せるのも専用トラクター。
さあ、ここまでの作業が終了したら、いよいよ搾乳。
待機スペースに追い込んでいる牛たちを、10頭ずつ、ミルキング・パーラーと呼ばれる搾乳室に入れていきます。
雌牛たちはきちんと整列して、順番にゲートイン。
背後からの搾乳になるため、牛糞の直撃を受けないように、お尻の位置には、樋が敷いてあります。
各ブースに、10頭が揃ったらここからが戦争。
つなぎ型牛舎では、手前から順番にミルカーをレール移動していきましたので、マイペースで搾乳出来ました。
しかし、このミルキングパーラーでは、まず一人が先絞りをしてから殺菌スプレーを乳首にかけます。
すかさず、次のヘルパーがその殺菌した乳首を、専用ペーパーで拭き取ります。
そして、その後ミルカーを装着していくという作業を、ヘルパー同士が阿吽の呼吸で行なっていくチームワーク作業。
この牛舎では、足癖の悪い牛たちも多数いて、まだまだミルカー装着に不慣れな僕は難儀しました。
「おめえら、頼むからじっとしてろ!」
しかし、お二人のヘルパーは平然とマイペース。
搾乳が終了すると、ミルカーは自然に外れる仕組みになっていますが、中には搾乳終了前に、牛たちが足癖で外してしまうもの、または、搾乳が終了しても外れないものもあり。
残乳がコップいっぱい程度が残乳の基本と言いますが、それはどうしてわかるのかと聞くと、帰ってきた答え。
「うん、なんとなくわかるから。やってれば。」
会社員現役時代は、マニュアルを作ることが仕事だったものとしては、これが一番困ってしまう回答。
しかし、相手が生き物とあっては、それもやむなし。
ここは、牛たちの気持ちになるしかありません。
経験値のないヘルパー見習いとしては、乳首のふき取りと、ミルカーに着いた糞を水洗いするのが、もっぱらの役目となりました。
乳が出ない乳首には、牛の後ろ足に前の乳首なら黄色、後ろの乳首なら青のタグがも左右それぞれの脚についています。
夢中になってやっていると、それも忘れて、出ない乳首を一生懸命拭いていることもしばしば。
出ないだけならいいのですが、中には赤い紐を結んだ、乳頭炎の乳首のサインもあります。
これをタンクに送ってしまったらエライことになります。
これは、タンクにつながるミルカーではなく、専用のバケットに搾乳。
そして搾乳が終わったら捨てるというのが手順。
もちろん、二人のベテランは、慌てることもなく淡々と対応。
僕が通常のミルカーを装着しようとすれば、間髪入れずに、二人のどちらからか指導が入ります。
「それ、違うよ。」
おもわず、冷や汗タラリです。
この牛舎には、雌牛が74頭。
それでも、2時間ほどで、すべての牛の搾乳は終了。
その後は、手分けしての分業。
一人は、ミルキングパーラーの洗浄。
一人は、違う牛舎の若牛たちの餌やり。
及び、牛たちが食い散らかした餌を寄せる作業。
僕は、牛たちが待機していたミルキング・パーラーの待機スペースの牛糞清掃。
僕の担当はすぐに終了。
その後は、お二人の作業終了待ちとなりましたので、牧場内をウロウロと見学させてもらいました。
隣の牛舎では、T牧場同様、若牛、子牛たちの牛舎もあります。
ここの作業は、メニューにはないらしく、ヘルパーを頼んである日でも、経営者家族で管理しているとのこと。
こちらで、みんなが使ってる言い方で言えば、「とうさん、かあさん」又は「じいさん、ばあさん」の担当のようです。
牧場経営では、休みがないというのは、ほぼ常識になっている世界。
「暮らし」と「仕事」が、ほぼボーダーレスになっています。
僕たちの研修先であるヘルパー会社に登録されているヘルパーは、現在10人とのこと。
しかし、会社と契約している牧場はなんと200です。
これはもう、牧場としても、よほどの事情がなければ、休まないという前提がなければ、全体がシステムとして回るはずがありません。
営農部長に、ヘルパーのシフト表を見せてもらいましたが、なんと半年先までビッシリと埋まっている状況。
人間だって、牛と同じ生身の生き物です。
健康のことにしても、いつ突然何があるかはわかりません。
しかし、人間がダウンしても、牛たちの搾乳はまったなし。
いつまでもそれが常識でいいわけがありません。
やはり、代替わりをして、若い経営者たちが増えてくると、「休みも取れる酪農ライフ」への意識も高くなってきているのでしょう。
そんな状況の中で、酪農ヘルパーというシステムが生まれたのが20年前。
会社も、まだ発足3年目の会社です。
僕のような、酪農ど素人の定年退職者にまで、今回のような研修のチャンスをいただけるのですから、そのニーズは、それほど逼迫しているといっていいでしょう。
4日間、酪農ヘルパーの研修をさせていただきましたが、それほど甘い仕事でないことは、十分すぎるくらい学習させていただきました。
今回お世話にになったヘルパーさんのレベルまで、自分がたどり着くまでに、どれくらいの研修期間が必要なのか。
今回の4日間の研修をさせていただいた限りでは、ちょっと気の遠くなる思いです。
あるいは、それは到底無理と諦めて、自分に出来ることだけを選んで仕事にするのか。
いろいろな選択肢があるということは、営農部長からもお伺いしています。
酪農ヘルパーは、まだ新しいニーズですので、経営者と違い、働く形態はかなり自由です。
牛たちを相手の仕事ですから、土日祝祭日は関係なくなりますが、会社としても、一ヶ月に7日間程度の休みは取れるようにシフトを組んでいるとのこと。
それでも、稼ぎたい希望のヘルパーには、それに合わせて月4日くらいのペースにしている方もいるそうです。
別海町という地名を、僕は今回初めて知った次第。
特に有名な観光スポットもありません。
良くも悪くも「酪農」しかない町。
それが別海町です。
町全体が、とにかく酪農を中心に回っています。
市街地以外は、殆どが牧草地帯。
関東から来たものから見ると、まるで町全体が、巨大なゴルフ場であるような錯覚を起こさせる町です。
逆を言えば、酪農ヘルパーのスキルを身につけてさえいれば、まず食いっぱぐれはない町です。
自分の年齢を考えれば、そのスキルを身につけたとしても,はたして、その後どれくらい現役で働けるのかという不安は、もちろんあります。
酪農ヘルパーは、コテコテの肉体労働です。
1日仕事をして、iWatch でカウントされた歩数は、およそ16000歩。
距離に換算すれば、12Km。
力も使います。
畑仕事よりも、ハードであることは間違いありません。
お聞きすれば、現状で、会社所属の社員ヘルパーは、上は50歳くらいから、下は新卒の19歳。
僕のような年寄りはまだいないようです。
今まで、運送会社で、体を動かして仕事をしてきましたので、同年齢男子平均よりは、体が動く自信はありますが、やはりこの先の経年劣化は必至。
しかし、それを理由に、会社や牧場経営者、そして何よりも牛たちに迷惑をかけることは出来ません。
たとえ北海道であっても、やはり今までやってきた野菜作りは続けたい思いはありますので、自分の体力と相談しながら、どこかで、上手にこちらにシフトしていくことは可能か。
どんな形にせよ、農業に携わる形で、自分のペースに合わせて、出来るだけ長く仕事を続けて行きたいという思いは変わりません。
そのオプションがひとつ広がったという意味では、今回の酪農研修は、大変貴重な体験をさせていただいたと感謝しています。
この研修に誘ってくれた就農仲間西村くんが言っていました。
「牛は可愛いですよ!」
なるほど、それはかなり実感しました。
彼女たちは、ビビリのくせに、好奇心旺盛。
そのデカい図体で本気になれば、人間一人くらいどうとでも出来るだろうに、はむかうことは一切しないで従順。
あれだけの頭数がいながら、ほとんど牛たち同士の喧嘩やいざこざはなし。
人が一生懸命ベッドメイクをしていれば、そっと後ろに寄ってきて、お尻をペロペロ。
実に、のどかで平和な生き物です。
しかし、部長もおっしゃっていましたが、牛は決して愛玩動物ではなく経済動物であるということ。
乳牛は、つまるところ、人間が飲むための牛乳を出してナンボの動物です。
彼女たちは、そのために、産んだばかりの子牛とも離され、人工授精で、恋愛もSEXも取り上げられ、食べ物や糞の処理は保障される代わりに、限りなく自由は奪われる。
そして、その乳が出なくなれば、役目終了。
牛舎を出されてしまいます。
そして、もちろん、その後は、肉になるか安楽死。
到底、快適な老後は待っていません。
それなのに、あの悲しいくらいに、とぼけたノーテンキな顔。
彼女たちと四日間付き合ってくるうちに、彼女たちがだんだんと、自分たちのことしか考えていない政権にいいように利用されている、どこかの国の国民の顔とダブってきましたね。
どこの国かは、あえて申しません。
搾取され、いいように利用され、ボロ切れのように使い捨てられても、この人たちの言うことさえ聞いていれば、自分たちは結構幸せなんだと、勘違いしている人たちですね。
ただ、はっきりしていることは、牛たちに嘘は通じません。
ごはん論法も、パフォーマンスも通じません。
酪農はやったことは、やっただけの結果にしかならないと言うことは明白。
手を抜けばそれなりの搾乳量しか得られませんし、やった努力もまたきちんと結果として返ってくる。
この点は、今までやって来た野菜作りと多いに通じるところです。
聞けば、最近は若い人たちの酪農ヘルパー志望もかなり増えてきているとのこと。
しかし、その離職率もけっこう高いそうです。
何かを期待してやってきた北海道の酪農で、その何かが違った。
つまり、そう言うことなのでしょう。
牛たちに、愛情を持ちすぎていてもダメ。
反対に、持たなすぎても、もちろんダメ。
そのあたりの、気持ちの持ち用が、案外難しい仕事なのかもしれません。
今回は、いろいろな意味で、とても貴重な体験をさせていただいて感謝です。
また、4日間の研修で、いろいろと心配りをしていただいた会社の営農部長。
(最終日には、知床半島の温泉にも連れて行っていただきました)
また、各現場で、お世話になったヘルパーの皆さん。
普段の仕事の邪魔をしただけなような気がして、誠に申し訳なく思っております。
いずれにしても、奥の深い酪農ヘルパーの仕事の、ほんの一部を体験させていただいただけでも収穫でした。
感謝です。
いろいろとお世話になりました。
ありがとございます。