黒沢明、小津安二郎と並んで、日本が世界に誇る映画監督の一人である溝口健二。
ちなみに僕は、柿沢謙二。(関係ないか)
今年は、溝口没後50年だそうで、この名匠を再評価する機運が高まっている気配です。
その溝口の『赤線地帯』をDVDで見ました。
この映画は1956年公開。溝口健二監督作品としては珍しい現代劇で、公開後に彼が逝去したため遺作となりました。
「赤線」は、ご存知の通り、売春を目的とする特殊飲食店街の別称で、所轄の警察署の地図に、その地域を赤線で囲って示されていたことからこの名称が生まれたといわれています。
終戦後、日本に進駐したGHQは、昭和21年1月21日、公娼制度(管理売春)は民主主義に反するものとして、「日本に於ける公娼廃止に関する件」(覚書)を発し、その廃止を指示しました。
しかし実際は、これにより、多くの店や、娼婦たちが転廃業を余儀なくされ、管理売春は、お天道様の下にもぐり、結果的に街娼を増加させたといいます。
GHQの発令したお達しは以下の通り。
日本に於ける公娼制度の廃止に関する件
1.日本に於ける公娼の存続は、デモクラシーの理想に違反し、且国民に於ける個人の自由発達に相反するものなり。
2.日本政府は直ちに国内に於ける公娼の存在を直接乃至間接に認め、もしくは許容せる一切の法律法令及びその他の法規を廃棄し、且無効ならしめ、且該諸法令の趣旨の下に如何なる婦人も直接乃至間接に売淫業務に契約し、若しくは拘束せる一切の契約並に合意を無効ならしむべし。
マッカーサー最高司令官に代わり高級副官部高級副官補H・W・アレン大佐
1946(昭和21)年1月21日連合国総司令部覚書
まあ、ご立派だこと。
しかし、実際は、戦後社会の混乱と米兵の進駐とあいまった性風俗の悪化から、善良な日本の婦女子を性に飢えた占領軍兵士から守る目的、つまり、占領軍がレイプ事件などを起こさないためにという「性の防波堤」として、1946年11月4日に日本政府は、私娼取締りを名目として、旧遊廓を事実上存続させる方針を決定することになります。
そのため政府は、半官半民の「特殊慰安施設協会」の設置を決め、内務省通達で特定の地域に限定して、あくまでも建前的には本人の「自由意志」による売春婦による性的慰安所を設けて営業することを許しました。GHQ様はこれをとりあえず黙認。
これがいわゆる「赤線」です。
ちなみに、風俗営業法の許可を取らず、保健所から飲食店の許可を得ただけで同様の営業を行っていたものがあり、こちらは「青線」と呼ばれました。
東京では新宿歌舞伎町が有名。 (その一部は現在の新宿ゴールデン街です。)
そんな時代背景の中で製作されたこの作品は、売春防止法制定前後の社会情勢をリアルタイムに取り入れた現代劇で、溝口作品の真骨頂とも言うべき女性主体の群像劇を手際よくまとめています。
この「赤線地帯」は、特殊飲食店「夢の里」を舞台に娼婦たちの生き様を生々しく描いた悲喜劇で、特に明確な主役は据えておらず、大勢の女優を軽快なテンポで次々に登場させました。
社会の底辺でうごめく女たちを、当時のトップ女優たちが、溝口のメガホンのもと、喜々として演じています。
なかでも、当時「母もの」で知られた三益愛子に、大年増の娼婦を演じさせたのは、溝口ならではでしょうね。
他にも京マチ子、若尾文子、木暮実千代ら、溝口作品の常連キャストも、手堅くまとめあげております。
僕的な趣味で言えば、京マチ子の、まさに絵に画いたような「トランジスタグラマー」ぶりは圧巻。
お風呂場のシーンでは、この時代の映画としては、「え、まさか」のお尻のサービスカットがありましたが、さすがに、あれは吹き替えだろうなあ。
もちろん、スタッフもいい仕事をしています。冒頭でまるで幽霊でも現れそうな独特のテーマを聴かせたのは音楽の黛敏郎。
「題名のない音楽会」の司会をやっていたあの方です。
溝口が最も信頼していたキャメラの宮川一夫。
「キャメラ」も、演技をするんや!」のあの方です。
助監督に、増村保造の名前もありました。
同じく美術の水谷浩ら「溝口組」の名スタッフが、相変わらずの「職人」仕事を披露していますね。
結集しているスタッフたちの職人芸や、この映画の完成度の高さに時代性も手伝い、この「赤線地帯」は、溝口作品としては、興行的にも成功を収めました。
映画にパワーがあった時代。リアルタイムの性風俗を、正面きって取り上げても、そこはかと「文芸」の格調が漂うあたりは、さすが溝口健二。
現代日本の最先端の性風俗といえば、ソープやイメクラ、キャバクラ、デリヘルということになるでしょうが、やはり、これを素材にして、「文芸作品」にしてしまう巨匠というのは、残念ながら、今の日本にはちょっといなさそうです。映画として成立するとすれば、いいところVシネマか、インデーィーズ系でしょうか。
「夢の里」の主人である進藤英太郎が、女たちを前にこう演説します。
「俺たちの仕事は、お国の仕事の行き届かないところを埋める仕事なんだ。わかったら、さあさあ一生懸命稼いどくれ」